ネットにはない情報も確かに多いですが、そもそもネットの情報の真偽を判断するには基礎知識が必要で、それにはちゃんとした教育を受けるのが一番の近道です。独学が不可能とは言いませんが、困難ですし一度間違えるとハマりやすいです。
— 宮田伊織 (@Miyata_Iori) 2014, 11月 9
直前に、ネットに無い情報を独学で云々という話やらその真偽性について語られた上で、の話(その部分は結構偏りがあるので省略)。紙媒体の情報にはインターネット上に無い情報も多いので、ネットに限った情報精査よりもより精度の高い結論を見出せることも多い。公的機関の情報も多分にネットの場合は省略されていることもあるので、これは非常に良くわかる。ネットの導入がさほど古くは無く、一方で以前から情報が蓄積されていた場合、情報のデジタル化が遅れているのって結構あるんだよね。まあ、ビジネス的なところも結構理由に挙げられるんだけど。
で、そもそも論としてこれはインターネット上の情報に限った話では無く、与えられた情報が正しいか否かを判断するのには、その判断のための物差しとなる基礎知識が必要。その基礎知識は教育を受けて身に着けるしかない。まったくの独学は何か道を外れてしまった際に、それを指摘してくれる人がいないので、気がついたらあさっての方向にいってしまったなんてこともある(コロンブスのようにラッキーな結果を生み出すなんてこともあるけどね)。
でもそれって結構面倒。となれば......
勉強が面倒だったり、時間取れなくて不可能であるなら、もう信頼出来る人を見分けるしかない。それって結構簡単で、脅したり断言したりしない人だと、かなりの確率で信頼出来る専門家だったりします
— 各務原 夕(暗黒非合法小学生) (@nekoguruma) 2014, 11月 9
真実を知りたくば自分をフォローしろってのは、99.99%信頼出来ない自称専門家なので、ブロックしとけ
— 各務原 夕(暗黒非合法小学生) (@nekoguruma) 2014, 11月 9
ということになる。このガイドラインは大よそ正しい。ゲーム紹介の雑誌でマトリクス系の評価ページがあるけど、あれと同じ。自分の趣味趣向に近しい記者の点数・批評を信じていれば、大体外すことは無い......って感じ。そして世の中の物事は概して断言できるものはあまり無い(自然科学系のは特にそう。何しろ大自然が相手だから)ので、それを断定してしまったり、読み手を脅し透かし煽動するような人は、選択肢から外すことで、選別は容易になったりする。
そういう「選択肢から外される」専門家において、科学系のは良く知られているけど、文系的なものもあるという言及も。これ、文系云々と語られているけど、文系・科学問わずに指標になる。
トンデモ科学と同様、トンデモ文系もある。その共通点を幾つか。
・社会的に声がでかく、センセーショナルなマスコミ利用
・身内、信者だけを集めた研究会を組織し、メジャー学会で勝負しない
・同意しない者を敵と見なす
・データ、論拠を求められると逃げを打つ
・訴訟、恫喝をちらつかせる
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2014, 11月 9
@ke_1sato 【トンデモ文系】にはぜひこれも入れて下さい。「身内だけで集まり、そこには呼ばない人の著書、論文、発言を吊るし上げる欠席裁判の様な研究会をやる」
実際に震災の後にこういう研究会に何回か呼ばれた事があってゲンナリしました。
— 井上リサ@11/28-30若狭原電紀行 (@JPN_LISA) 2014, 11月 10
こういう人たちに対抗するには何らかのアクションが必要なのだが、そもそも「論理」を端から無視した人たちを相手にするのは至難の技。。。 それ以上信者を増やさないような兵糧攻めしかないか
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2014, 11月 9
トンデモのもうひとつの共通点があった。
・大学教員などの肩書を最大限利用する
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2014, 11月 9
@ke_1sato ・社会悪に立ち向かうマイノリティなオレサマ
おはようございまーす
— kod (@animalkod) 2014, 11月 9
肩書などを使った権威主義的手法も、以前から何度となく伝えているお話の通り。
大概のトンデモ系は、論理を闘わせる場面に心情を持ち込んで話を進めようとするから、それへの批判は蛙の面に水という水掛け論の展開にしかならない。厳しい現実から逃げたい気持ち、複雑な社会を単純化して、しかも自分に都合のよいように理解したい、という無意識が働く雰囲気とどう対処するかが課題
— 佐藤賢一の中の人 (@ke_1sato) 2014, 11月 9
結局これらの傾向をみれば分かるんだけど、一種の新興宗教、しかも悪質系のものと性質的には同一なんだよね。で、次の指摘でも「ああ、なるほど、その通りだな」という性質なのが分かる。
近藤だの内海だの、患者をエセ医療で希望を持たせて後で地獄に突き落とすやつの本ほど、タイトルが扇情的で目を引きやすいし、何より一般書コーナーに平積みしてあるんだよね。そりゃ全うな本よりそっちを手に取ってしまうわ。
— 杉下京子@飯が旨いぜ!ネズミスキー (@kyouko_sugisita) 2014, 11月 10
なんとか仕草とかなんとか菌も、まさにこのパターンだよね。先日の「医者を見たらなんちゃら」も然り。で、困ったことにこの類の「布教」って、ネットワークという言葉にある通り、ソーシャルメディアが悪用されやすい。
FBが今ああいうインチキ野郎の狩場になってんのよ。TwitterのようなWeb公開の場でできない話をしてる。
— ladysmoker (@lady_smoker_) 2014, 11月 10
恐らくは欧米のFacebookでも似たような状況が起きているんだろうけど、閉鎖性を高めることができるので、まさに悪用されやすいんだな。......って、これ、以前はmixiで問題視されていたことでもある。まぁ、その意味では時代は変わったな、ということか。いや、それでオチをつけちゃいけないのだけど。
ともあれ、「真実」という言葉は一種のシグナルとして。後、理系文系に限らず、一種の新興宗教的なトンデモ系には気を付けませうということだな。そして、正しいガイドラインを見つけましょう、そのためには正しいか否かを推し量れる、正しい物差しを身に着けるために、基礎的な学習を怠らないように、ということだろうなあ。
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