なんかこう「大学は役に立たない研究をやめろ」というのは「図書館は貸出実績が少ない本を捨てろ」というのと似ている。一度も借りられたことがないような本をどれだけたくさん保有してるかがその図書館の有用性を死活的に決定している、ということを図書館を使わない人は知らないのです
— 増田聡 (@smasuda) 2014, 11月 10
@smasuda @tarareba722 そもそも、何の研究(学問)が役に立つかどうかは、何年も先にならないとわからないことだと思うので、「今役に立たない研究を今すぐやめろ」というのは、あまりにも暴論というか、何様ですか未来のことが見通せるんですかと、とても危険な気がします。
— リィ (@mitKatzen) 2014, 11月 11
2009年秋口からの3年半で色々と起きた日本版の「焚書坑儒」的な騒乱でより強く感じた件の再確認的なお話。特に国庫を用いることで採算ベースはあまり考慮しなくてよくなる(国益という観点で切り口を得ることができるから)官公庁の定点観測的調査や白書において、一定期間の閲覧数が少なかったから、利用されているようには思えなかったから、その調査や白書作成は廃止、無駄だから、仕分けするから的な感じで、次から次へとサイトが消え、調査が終了させられ、白書の更新刊行がストップさせられた。一度止めたら連続性が途絶えてしまう、それだけでも大きな損失に違いないし、時は決して戻ってこないのに。
口惜しさを覚えていたら「状況の変化を見ればそれは要らないから当然フンダラダー」と当時の政権を後押しする人達からバッシングを受けたこともあったけど、その「要らない」を決めた基準は合ってるのか、短期的な視点だけで決めて良いのかと考えると、やっぱり継続は力なりという言葉に違いは無いことを再確認する次第。
図書館における蔵書も同じようなもの。借り手が少ないから、研究に成果が出ないから、役に立たないように見えるから、短期間の視点のみで、今の価値観のみで不必要に見えるから、それで本を捨てるのは暴挙でしかない。研究だって同じ事。今すぐに成果が出なければカットって、そんなすぐに成果が出せると分かっているものは、わざわざ研究する必要は無い......ってこのあたり、日本におけるベンチャービジネスへの投資家・ファンドなどの姿勢や、さらには妄言関連の「自分の仮説が絶対正しい」的な発想とつながる部分があるな。
物事はトライ&エラーの繰り返しで前に進んでいく。サイコロを振って必ず6が出る人はいない。でも短期間の研究成果を強要する人、図書館で借り出し件数が少ない蔵書を捨てろと指示する人、定点観測調査で最近の利用者が少ないから調査中止を求める人。それらは一様に「俺様が振ったサイコロは必ず6が出る。そうでないサイコロは役立たずなので廃棄」そんな考えを持っているような雰囲気がある。言い換えれば数理的な物事の考えが出来ない人。
@smasuda 時がくるまで役にたたない研究と言われる例として、エチゼンクラゲ利用の緑化計画を→http://t.co/Veyc8CNZoU夢の扉 ~NEXT DOOR~ より。
— ちるそないと324 (@chirusonite) 2014, 11月 11
その場では役に立たないように見えても、その選択肢を残しておくことで、可能性はそれだけ広がることになる。どれだけ多くの種を蒔けるかが、中長期的視点では欠かせない。これ、先日の人「財」不足周りでも言えるお話なんだけどね。
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