「異常ありませんよ」と何度言ってもなかなか引き下がらない老人はけっこういる。最近おぼえたテクニックなのだが、「大丈夫大丈夫」とか「異常ありませんよ」よりも、丁寧に身体診察をした後に「はい、合格です!」と言ってあげると、嬉しそうに帰る老人が多い。
— ぶらっきぃ (@hey_muu) 2014, 11月 10
語られている状況に違いは無いものの、表現次第で相手の心境が大きく変化する、非常に興味深いお話。健康診断などで各種検査を行い、結果を精査して特に留意する状況のものが無いと判断されると、普通は「異常はありません」となる。例えば血圧が高い、血糖値に異常が見られる、肝臓のパラメータが高いので喫煙状況をもう少し......みたいな注意をする必要は無いということ。
でもお年寄りにはそれでは満足が出来ない場合が多いらしい。「異常がない」とは要するに「正常である」ことなのだけど、それは見方を変えると「マイナスな状況では無くゼロ以上」、つまり「ゼロ、不健康ぎりぎりのラインかもしれない」という不安を呼び起こすことになるらしい。つまり「健康ですよ」ではなく「不健康では無いですよ」と言われていると思いこんでしまう。
医者の類は「完璧」「完全」「絶対」という言葉はつかえない。医学は神のなすべきことではなく、数理的なものだけで解決できるわけでもないからだ。だから「絶対に健康」と言った類の言葉は使えない。そこで......
「合格です」。この言葉が使われる。完全無敵でパーフェクトな状態ではないけれど、特に異常が見られる、観察が必要な、治療が求められるものは見つからない。これなら確かに正しい情報を相手に伝えつつ、相手も正確な情報を取得した上で、満足を得ることができる。相手が求めていた情報は「異常のあるなし」ではあるけれど、実のところは「『医者から合格点をもらえるような』健康状態であるか否か」の情報と考えれば納得もできる。
言葉のあやと言われればそれまでだけど、相手が本当に知りたいのはどのような情報なのか、そこまで考えて表現を選ばないと、空振りを続けてしまう。先日の「認知のずれ」とも通じる部分もあり、対人のコミュニケーションを極めるのは難しいのだなあ、と考えさせれるお話ではある。
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