「ネガティブよりもポジティブな発言を」それは分かるけれども

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先日の「小学四年生」周りのドタバタはまだ続いている......って連休中の出来事だからね。今なお流動的。そんな最中で、当事者の語録的なものの一つに、「ネガティブな事を言っている暇があるならポジティブな事を言っていたい」というものがあった。それはそれで正しいのよね、とため息をつきながら。

ネガティブにしてもポジティブにしても、「語る」という行動を起こすことで、大きれ少なかれその当事者にも影響が及んでくる。経験として残るし、それが繰り返されると、自分自身の行動様式にまで影響を及ぼしかねない。ちょいと前に「一か月間褒め続けた云々、一か月間罵声を浴びせ続けた云々」って題材で比較したものを見せるというムーブメントがあったけど(これは後ほど機会があれば紹介する)、それと同じこと。ポジティブなことを口に出し続けることで、行動様式も、発想もポジティブになる。テンション上がってきた状態になる。

ただし。

今件の事案を見る限り、「ポジティブであること」が前提として強固なものになりすぎ、それが正しいのか否か、やってよいのか否かを軽視した節がある。いわゆるノリが最優先的な感じ。むしろ多少なりとも悪いもの、良くないものでも「ポジティブだから、まあいいかー」的な雰囲気すら覚える。そしてそれがあまりとがめられない、否定されないと、それを良しとして経験してしまい、ますます冗長する。

「それがポジティブな事であっても、ウソを言ってはいけない。それを言う位なら黙るべき」。先に進む、進もうとする意欲を持つのは大切だけれど、進む際にそれが正しいのか否かを確かめる理性と知性は欠かせない。それが無ければ単なるレミングスの行進となってしまいかねない。以前取り上げた「バスに乗り遅れるな」と同じようなものなんだよな。

......恐らく今件での当事者諸氏は、持ち上げられるばかりで、大きく叱られたり、失敗したことがないんだろうなあ。「銀と金」でも似たような御曹司のボンボンが出て来たけれど、まさにそんな感じがする。

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このページは、不破雷蔵が2014年11月24日 07:04に書いた記事です。

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