「どうして解散するんですか?」今回の件の教訓 http://t.co/bUdYFlh7g0 でも指摘しましたけど、今件で作り手側の最大の勘違いは、小学四年生が意思表示にサイトを使うと考えた所なのかも。普通その歳ならLINEかツイッター、Facebook。よくてブログ。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 11月 23
先日の【「どうして解散するんですか?」今回の件の教訓】でも触れているけれど、「小学四年生」事案こと「どうして解散するんですか?」の話に関しては、いわゆる「非実在小学四年生」がペルソナとして設定されてしまったこと、その設定が現状とは大きく食い違ってしまったところが、そもそもの(設定の上での)間違い。技術を色々と自負して、さまざまなアピールをしたいという欲があったのだろうけど、今の小学四年生が似たようなことをやるとすれば、LINEかツイッター、あるいはFacebook。サイトを創ろうという発想にはならない。よくてブログ。あるいは今流行のユーチューバーになるとか。この時点で、「小利口な大人が想定した子供による所業」ってのがばれてしまっている。
そしてその「小利口な大人」に関しては、今年の一月の記事 ...ああ、そうか。「小学四年生」の件は、牛丼屋で鼻に唐辛子の瓶を突っ込んでみたり、コンビニでアイスケースに入って、ドヤ顔しながら写真を撮って公開する、あのメンタリティを想像させるのですね。どこかで既視感があると思ったら。
松屋の鼻唐辛子、コンビニのアイスケース、そしてこのツイートのレスとして指摘されているStudygiftの件など、雰囲気的に似通っている、既視感がある。ノリだけで何とかなる、自分のわがままを通したい、自分が楽しければそれで何でもいい、そんな香りがシュールストレミングのように漂ってくる。
そのような暴走を賛美する声も当然ある。しかし、次の指摘の通り、その賛美もまた、首を傾げる話ではある。
アクションを起こした青木大和くんはすごい - Togetterまとめ http://t.co/6fBXEgPn2Q 何度でも言うけど、「全裸で街を疾走する」ことが「応援されるべきすごいチャレンジ/アクション」だと思えるんだったら、小学校4年生からやり直したほうがいい
— m.tokuoka (@goodhuntstalker) 2014, 11月 23
「行動したほうが偉い」のは間違ってるが、「行動したほうが影響力を発揮できる」のは間違いない。だから、誰かに何らか影響を及ぼしたいなら、行動したほうがいい。そこまでは正しい。
— m.tokuoka (@goodhuntstalker) 2014, 11月 23
ただ、最後に本当に問われるのはその人の「判断」なのだ、という視点が「行動した者は常に偉い」という議論からは、おおむね欠落してる。発生する影響力は行動依存するけれど、「偉い」という評価が得られるかどうかは、判断に依存する。「考えなしの行動」は、当然、評価されない。
— m.tokuoka (@goodhuntstalker) 2014, 11月 23
「目に見える行動に移らない」というのは実のところ「行動」の一種であるし、ゆえにそこに適切な選択・判断が伴っていれば、自然と評価もされる。その当然の理屈を理解できずに「何もしない奴らが偉そうに」と言い出し始めると、やがて全裸で街を爆走する自撮り動画をUPすることしかできなくなる。
— m.tokuoka (@goodhuntstalker) 2014, 11月 23
......などということは、政治学を引っ張りだすまでもなく、「パス」ができるターン制対戦ゲームをちょいと遊びこめば、骨身にしみて理解できるはず。無分別なアクションを、それが目に見えるアクションだというだけで賞賛する人たちに不足しているのは、実のところ勉強ではなくて遊び。
— m.tokuoka (@goodhuntstalker) 2014, 11月 23
物凄い雑な例えになるけれど、競技場のトラックで突っ走るのは良いけれど、それと同じ感覚で高速道路を横切ろうとしたり、公衆浴場の中を突っ切ろうとしたり、工事現場を横断しようとしたら、相応の報いを受けることになるって事。正しいこと、賛美されることはベクトルが必要。力だけでなく、方向性も重要なのだよね。
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