2ch初期~全盛期までのころってむしろ左巻き側が我々がネットによって民衆を導くのだ! くらい噴き上がってたと思うんだが。
んでいらんこと言っては即座にソース突きつけられ反論されの繰り返し。
— やらか堂@ままならねーです (@yarakado) 2014, 11月 27
2ch初期のさらに少し前、「パソコン通信」の頃は左派は元気だったんだがなあ。
アングラな地下アジトみたいなクローズネットがあったりしてさ。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
「資料を持ってるのは自分達だけ」
だったはずが、インターネットの急速な普及で
「相手も相手の資料を持ってる」
「双方の資料を双方が点検できるようになった」
ことによって、「俺が持ってる資料が正しい」が通用しなくなったんだよね。地下左派の論者。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
サンデーネットやニフティサーブといったパソコン通信時代、そして2ちゃんねるだのあめぞうだのようなネット掲示板における黎明期の話は、ソーシャルメディアのすう勢をまとめる記事で何度か調べたことがあるので、大よそ把握している。それもあってちらほら話に登っている、2ちゃんねる関連のお話は「ああ、また情報がよじ曲げられて伝えられている......というよりは歴史を都合の良いように創生して語り伝えて事実とすり替えようとしているな」的な感じでによによしなが見ていた次第。
で、そのあたりの話でちらりと出ていた、情報ソースの変遷について、ちょいと興味深い内容のやりとりがあったのと、当方に誤爆(笑)が来たことから、良い機会でもあるので覚え書き。
これはネットの外の話にも言える話で「書斎には資料がある」「とある筋から得た内部資料」が論者の武器だったんだよね。
ところが「自分の本棚に如何に本がたくさんあるか」というのは、あまり武器じゃなくなってしまった。
これはインフラとしてではなく、データベースとしてのネットの発達が大きい
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
「俺の持ってる本には正解が載ってる」
「俺はよりたくさんの本を持っている(読んでいる)から俺が正しい」てのが論者の武装だったと思う。
まあ、そこは今だってそんなには違わないだろうけど、今は議論のベースになる資料をネット上で閲覧するようになってきてるから、自宅の本棚あんま関係ない。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
@azukiglg 後は「俺の言うことは正しい」然としていたのが雑多な検証者、特にある一部分に詳しい人たちが集まって検証されて「虚偽・誇張が多すぎる」とばれたのも大きいですな。単に文章だけで判断するから相手の素性なんてわからないのに自信満々でいたのが悲喜劇だったという落ちに
— 小川靖浩 (@olfey0506) 2014, 11月 27
これは、本がまだ印刷物でなく、下手したら写本しかなかったような時代のそれに似てると思う。
昔の学者ってのは、要するに「本、または写本」を如何にたくさん所有しているか、で知者としての価値が決まった。本棚に蔵書を誇ってる時代の論者はそうだったと思うけど、ネットになってからそれは崩れた
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
「お前は知らないだろう、俺は知っているぞ」で勝負が決まった時代はさておき、今は、
「なるほど、じゃあそれを検証しよう。それを織り込んでどうするか考えよう」
ってなる。しかも、「雑誌に論文掲載」なんていう気の長い交換日記の時代じゃないしねえ。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
「俺だけが知っている、俺だけがタッチできる資料」が意味を成さなくなって、「ネット(データベース)にあるものを引っ張ってきて、なおかつそれをまた別の方法で何重にも検証して」ってのがされるようになってくると、稀有なデータや信頼できる筋だがソースは明かせないは意味を成さなくなってくる。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
写経による情報の価値観が印刷の普及であっという間に暴落してしまった、一子相伝的なのがコピーが山ほど登場するようになったってのは言い得て妙で、それと同じような話がネットの普及で起きている、と。検証が必要だとか、ソースが明かせない情報は意味が薄くなるってのは、【おおかみ少年は次第に村人から信頼されなくなる、一次ソースを開示できない報道もまた......】でも指摘したお話。結局、まったく別の話でも、何らかの共通な要素ってのがあるんだな。
「真実に目覚めるはずだ」てのは、ネットの草創期の左派がよく言ってまして、「宗教の勧誘に似てんなあ」と当時も思ってましたw QT @Rogue_Monk:
>インターネットの急速な普及
ネットで結ばれた一般市民は皆、自分たち左派を支持してくれると思い込んでましたね。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
「集合知」の成果を参加者が分け合う時代に既になって久しいと思うんだけど、「叡智の独り占め」「集合知の中で手柄を誇る」っていうようなことをしようとする人ほど、批判の対象になるような流れになってる気はする。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
その意味で「俺だけが持っている資料」やら「俺のお陰で真実に目覚めただろう」やらの左派の振る舞いは、集合知の参加者には極めてウケが悪かったんじゃないかしらん。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
「海外出羽守」の類全般がそうですわな QT @toronei: @azukiglg それスポーツメディアですごく良くありましたわ。「俺は本場を見てきた」という海外通というの、インターネットと衛星放送でいろんなジャンルで海外事情スポーツ評論家の嘘が一斉にバレた。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
あと、web世代は自分が不利な資料もわりと躊躇なく出すってのがあるね。 この点イデオロギー屋は真似で出来ないところだし、サヨクは特に不利な資料を隠す傾向が強い様に見える。
— 御神楽 舞 (@mikaguramai) 2014, 11月 27
で、この辺の話を見聞きしていると、【現場は大事だけど現場がすべてではない。現場に居ることが無敵モードのアイテムになるのは困りもの】を思い出す次第。昔は資料、今は現場、ってね。
最近資料の代替として浸透し始めているのが「現場(での実体験)」。これは当方も何度か警告しているのだけど、現場の実体験は確かに貴重かつ重要視すべきものには違いないけれど、それ故に ①無条件で信じられやすいが「現場の話」として語られた内容が事実であるとは限らない(見聞きしたことをそのまま伝えているのか?) ②現場にいるとその周辺に浸透してしまい、心境が偏りがちになる ③その一領域だけで全体を判断してしまい、まさに「木を観て森を見ず」的な論調になるというリスクが生じるってのがある。加えて「美味しい所だけつまみ食い」的な事になる可能性も、ね。
肩書、権威主義的なものと同じで「現場至上主義」的な感があるんだよね。かつての「資料がある俺様エライ」的なのが、今は「現場にいる俺様エライ」に変わっただけ。で、そのリスクの高さは上で語られている、限定的な資料に対する万能主義と変わらないと。そりゃあ、独占した方が、独占した側は有利に立てるってのは、何においても事実だし。
「現場」という名の「半径5m」が世界の全ての真理のように言われてしまうアレw QT @Fuwarin: それ故に ①無条件で信じられやすいが「現場の話」として語られた内容が事実であるとは限らない(見聞きしたことをそのまま伝えているのか?) ②現場にいるとその周辺に浸透してしまい、
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
「豆腐百珍」なんかその典型すね。 QT @ut_ken: @azukiglg 江戸時代になったときも、印刷出版物の普及でそれまでの「秘伝」が一気に廃れましたし、秘伝をたてにしての伝統の捏造も困難になった
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
豆腐百珍......江戸時代の料理レシピ本で、豆腐の様々な調理方法が掲載されていてベストセラーになったらしいよ。新潮社(だったかな)から実作写真入りで復刻されている。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
そうそう。なので、「知のアドバンテージで相手をねじ伏せておける時間」は大変短くなった(・ω・) QT @ut_ken: @azukiglg 書籍でも、ネットなどの普及で、図書館での検索やよそからのとりよせ、古書探しと購入などがひじょうに容易になり、相手が持ち出してくる資料の実際の
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
導き出された答えによって得られる栄華が、正解を引き出した当人だけに贈られるとかそういう話ならともかく、左派が引き合いに出す論点て「皆がどうなるべきか?」って話が多いから、「俺の勝ち!」みたいなのってあんまり意味を持たないんだよね。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 11月 27
時々当方が口にする「データを、資料を悪事の材料にするな」ってのもこの辺りにあるのかな。「俺様の勝ち」を導き出すために、データの一部のみをつまみ食いしたり、ぱっと見の印象を悪用したり、権威をかさにかけたり......。まぁ、それはケースバイケースではあるのだけど。
ともあれ、昔は紙資料でごく一部の人たちだけの特典的なものだったのが、印刷で不特定多数が手に出来るようになった。そしてそれがさらにネット上の情報となってハードルはますます低くなっていく。それゆえに、一部の人にしか手に入らない特典が得られる「現場の声」ってのものの価値はさらに高まりを示しているのだけど、それを悪用して、あるいはそれ故に先鋭化され、間違った使われ方をされるリスクも高まっている。
同時に上記では触れていない......というか失念していたけれど。取得のハードルが低くなったからこそ、間違って、あるいは意図的に誘導される形で、誤情報をつかまされるリスクも高まっている。それ故に印象的な内容で飛びついて丸のみするのではなく、自分の知識と照らし合わせて反芻し、必要があれば検証することの重要性が、これまで以上に求められているんじゃないかな。
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