いや、まず根本的な問題として『70年も昔の戦争の話なんか聞いて意味があるのか?』ってことに疑問をもてよ、と突っ込みたくなるよね。将来の戦争に何も活きないよ、その話。【 戦争体験談:20代の6割「聞いたことない」】 http://t.co/nxPD6xIczr #SmartNews
— コージ (@kouji78) 2014, 12月 25
歴史を都合の良いようによじ曲げたり、意図的に改ざんした上で公布して、その間違いを指摘されると「圧力には屈しない」「捏造などしていない」と開き直るような話は言語道断だけど(どこかで聞いたような話ではある)、その歴史事実の伝承・記録と、その内容を現在にもそのまま適用するように浸透させることとは別なんだよな、ということを思わせるお話。戦闘体験談を見聞きしたことが無い20代の人が6割に達し、それは危機的状況だと懸念する記事に、そもそも論として「70年も昔の戦争の話なんか聞いて意味があるのか?」という話。
歴史的事実としての認識との観点で知ることは大切であるし、意味はあるのだけれど、それを現在にも通用するものだから、常識としての継承が欠かせないというのが新聞側の記事の意図ならば、それはどうなんだろう、違うんじゃないかな、というのは多かれ少なかれ誰もが抱いているはず。「昔は洗濯機など無く、洗濯板で洗濯をしていたんだよ」という歴史的事実を知っておくのは正しい話だけれど「だから今も洗濯板で洗濯をしなきゃいけない」ってのは道理が通らない。
本当に真剣に、現在と将来における戦争を知り学びたいというなら、そんな70年も昔の時代遅れな話に耳を傾けるのではなく、今まさに銃弾が飛び交っている現代の中東での現地戦争体験者に話を聞く機会を作って、『今の戦争の姿』ってものにリアルに触れる方が姿勢として正しいんじゃないのか?
— コージ (@kouji78) 2014, 12月 25
そんな70年も昔の時代遅れな話に固執して現代の戦争に背を向けてるから、いつまで経っても徴兵制とか有り得ない話で騒げるんだろうね。
— コージ (@kouji78) 2014, 12月 25
これは以前こちらやヤフー個人ニュースで「徴兵制」周りのプロパガンダの解説をした時に反論としていくつか寄せられた「意見」に目を通して感じたことでもあるのだけど、「昔あったから今後ないとは限らない」という、歴史は繰り返す的な論調を絶対命題として、それ以外の要素をまったく無視した上で結論を導いてるんだよね。本当に戦争の問題点、現状を知るのなら、今の戦争について語らなきゃならない。1920年代の世界大恐慌の様相を歴史的事実として学ぶのは必要だけれど、その当時の株式市場の動向をそのまま現在の市場動向に当てはめて云々ってのは、どうも勝手が違うよね、的な。
ただ気を付けなきゃいけないのは、これも以前指摘したけれど、「現場の空気」ってのはあまりにも強いので、注意をしておかないとその空気に包みこまれ、「意識の高い人」になってしまいかねないってこと。よくある話なんだよね。
70年前の戦争を「物心ついた状態で、参戦して経験してる人」は、男性に限られ、存命なら80代半ば以上から。80代前半以前の老人及び女性は、「女子供として後方から眺めていた」「被害の記憶しかない」「戦略上の意義を戦争に見出さない立場」だった人が大多数。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 12月 25
戦争を知らないのは別に若者だけじゃなく、80代以前の日本人のほとんどなのだから、「戦争を知ってるか知らないか」は若者にとって老人に引け目を感じることではすでになくなっているんだと思う。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 12月 25
そのうえで、戦争否定を「空襲が辛かった」「戦地での飢えが辛かった」という【被害】として論じるのならば、「空襲されない戦略」「飢えないロジスティックスの構築」が70年前の戦争から得られる教訓であって、「人が死んで辛かった」は戦争の教訓として聞く価値があまりないんだよなあ......。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 12月 25
「やぁやぁわれこそはー」の時代の人の話を真に受けてると三千丁の鉄砲隊につるべ撃ちにされちゃうよ、的な話(´・ω・`)
— 蒼炎の魔王ベトベトさん@呂布 (@zakmustang) 2014, 12月 25
なぜなら、「戦争の勃発」を、大多数の有権者は左右する権限を持たないから。
まあ、有権者が「開戦せよ!」を多数派として政権に強いるなら別だけど、「仕掛けられる戦争」「余儀なくされて始まる戦争」は、「戦争の悲惨という教訓」があったところで避けられない。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 12月 25
ヘタすると、未だに現代の戦争は「宣戦布告から始まる」と思ってる人がいるかもしれない絶望。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 12月 25
現代戦は、(そしてもっといえば遥か昔から)「我々は被害者であるので、敵対者を撃滅する正当な権利を有する。相手方が被害を被るのは相手が悪いのであって我々に責任はない」と、言い合いながら戦争を回避できない。
最終的にその主張は勝ったほうが行使する権限を保有する。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 12月 25
@azukiglg 人が死んで辛いのはまあ、いつの時代の戦争でも共通する戦訓ではあるので、人的損害の低減に動くと言う点では無価値でも無いんだけど、逆にそれ最近の紛争でもそうだよねっつー。
— ooi@n_m (@JDSDE214) 2014, 12月 25
「思い出話」としては今持って価値があると思うけど、それは「対策を講じるためのヒント」としては古臭すぎるのではないか、って話だとは思うのよね。
ISISの例やウクライナの例、中国が南沙諸島を埋め立てて軍事拠点を増強している例、最新の兵器の取得価格と運用価格なんかを学ぶべきやね。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 12月 25
日本ではどうも「戦争」と他人から呼ばれそうなもの全体においてタブー視されていた感が強く、戦争論そのものの研究や検証、論議が極力少ないため、今回指摘された件も含め、方向性に問題があるお話が色々と出てしまって、リソースが浪費されている感が否めない。オスプレイ騒動も良い例じゃないかな。避けなきゃいけないものだから目をつむるのではなく、避けなきゃいけないものだから、より確実に避けるために研究を行う。「孫子の兵法」的なお話だな。
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