2006(夜明け前より瑠璃色な)→
2011(アイドルマスター)→
2013(俺の妹がこんなに可愛いわけがない)→
2014(ガールフレンド(仮))
キャベツの作画で分かるアニメの進化 pic.twitter.com/vebUXBNJY3
— 絵璃亜璃守は勇者部所属 (@romancing_alice) 2014, 11月 10
アニメ業界を脅かすキャベツの作画問題 - Togetterまとめ http://t.co/4ZSRo7FFkF @togetter_jpさんから
確かに私もキャベツを書くときは肩に変な力が入る
写真をガン見してなるべく葉脈を自然に出そうとしたりするw
— 熊谷杯人@Web漫画毎週更新 (@kumagaihaito) 2014, 12月 23
予算やスケジュール、担当しているスタジオの不手際、そして力量不足......色々な不幸な原因で、アニメの出来が今一つ二つ三つなものとなってしまう悲劇は繰り返されている。一般視聴者が観てすぐに「これはダメだろ」的なダメ出しをしてしまうような質のものがテレビに流れること自体、異様な事態ではあり、制作・配信側もその質の酷さは理解しているはずなのだろうけど「放送しなきゃいけない、穴を空けるわけにはいかない」「BDで出すときまでに修正するから」「予算が無いから仕方ないだろ(逆切れ)」的な説明、言い訳が半ば許されるような空気がある。それこそが問題なんだけどね......週刊誌などで真っ白なページ、あるいは絵コンテみたいな線画が掲載されたら問題になるでしょ?(そんな事態も時折あるけれど)。
で、そのアニメの質のチェック......というか作画の良し悪しを判断する指標として、キャベツに注目が集まっている。もちろん「夜明け前より瑠璃色な」でのあまりにもあまりなキャベツの描写がきっかけではあるのだけど。
キャベツを切るシーンが多いのはキャベツがアイテムとして使いやすいからだと思う
・大きいものを大きな動作で切る、音も大きい・料理知らなくても何をどうすべきかみんな知ってる・切り方にキャラの性格が出る・品種改良で形がそんなに変わってないから世界観壊さない
— 熊谷杯人@Web漫画毎週更新 (@kumagaihaito) 2014, 12月 23
食べ物への執着心には個人差があるけど、描く人にそれが無くて見る人にあると大変なことになりますね... RT @Mind_Drive 知らなかったけどこれは面白い‥植物も食物も描くの難しいですもんねえ‥
— 熊谷杯人@Web漫画毎週更新 (@kumagaihaito) 2014, 12月 23
あ、キャベツ問題の最大のポイントはスケジュールですね...それにしても食べ物は作画レベルの基準になったりしてます @Mind_Drive
— 熊谷杯人@Web漫画毎週更新 (@kumagaihaito) 2014, 12月 23
@zsiCmwdl_ あの作画へのこだわりは恐ろしいものがありますねw 見た人が必ず「後で食べよう」と思ってしまうという
— 熊谷杯人@Web漫画毎週更新 (@kumagaihaito) 2014, 12月 23
確かに食べ物の描写はごく身近に、そして繰り返し実物が観る側の目の前に展開されるので、それとの比較という点で物差しとしやすいし、リアルな脳内再生も容易にできる。そして作り手側の「モノの見る目」も推し量れる。とりわけキャベツは素材として使いやすい。みんな知ってるもの。朝寝起きのシーンとして料理を作っている情景が出てくる場合、味噌汁を作っている香りと、まな板で切る音が聴こえてくるってのがあるけど、あれって切ってるのはキャベツだよね、大抵は。
キャベツをアニメの質の指針として注目するってのは、実は賢い切り口なのかもしれない。「キャベツ指数」とか「キャベツ注意報」とかいう言葉もそのうち登場したりして、ね。
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