車内広告を見ながら、「秒速で1億円稼ぐ条件」「年収300万円だった林さんが年収3000万円になったお金の増やし方」などの本を多く出しているフォレスト出版の人たちは、どうして本に書いてあることに専念せず、それに比べると割に合わなそうな出版業を続けているのかな、と思った。
— Raymond Rambert (@rambert_oran) 2013, 1月 19
電車内広告はある意味景気のバロメーターでもあるし流行を推し量る指標でもあるし、同時に多種多様なプロモーションの切り口を教えてくれるという、先生的な役割を持っていることを実感する機会も得られる。上記に取り上げられている、ちょっとした工夫や努力だけでしこたま儲ける的な、ビジネス系......というか啓発系ビジネス誌の宣伝もその類。
「キャッチコピーだから」ってのは詭弁でしかなく、キャッチならウソついていいんかい、羊頭狗肉はあかんやろ的なものもあるのだけど。それだけ簡単に儲けられる手法が語られているのなら、その手法でしこたま儲けて、その上で出版業をゆったりとこなせばいい。でもそんなことは決して行われない。なんでだろう。
出版化され不特定多数に周知された時点で、大抵その様式は廃れているかフェイクに過ぎなかったりするの法則 :P>>公式RT
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 12月 23
種明かしをするとこんな感じ。公知される時点でその手法は廃れているか、あるいは廃れる寸前で利益のほんの絞りかすしか得られない場合がほとんど。見方を変えれば、その手法で稼ぎを得ることが難しくなった、先が見えてしまったので、最後のひと稼ぎ的に出版を行うって考えれば理解は容易。これまでにそれなりに稼いでいるのだから裏付けはあるし実経験も語れる、それゆえに確証性が高いようにもみえる。なにしろ実践経験が書かれているのだからね。
あるいはフェイク。ダマシ度合いの比率はケースバイケースだけど、俗にいう演出的なものがたっぷりと盛り込まれていて、あまり役に立たない実態ばかりが書かれているパターン。
いずれにしても投資関連の書籍や逸話、著名人とされる人たちのアドバイスにおいては、よくある実情なんだけどね......。まぁ中には、十分すぎるほど稼いだし、あとは名誉欲やら執筆出版欲を充足するために本を書くってパターンもあるんだけどさ。その場合、書かれている内容はそれなりに正しかったりする。
もっとも投資の世界は得てして「これまでのこと」が書かれていて、必要なのは「これからのこと」なんだよね。そしてそれは滅多な事では当たらない。正月恒例の「今年の株価予想」が、どんなに実績を持ったアナリストによるものでも、なかなか的中しないのは、それほどまでに難しいからに他ならないわけで......。
コメントする