絵とセリフは一体化してはじめてマンガになる

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年末年始となり一年の総決算的な状況になるのに加え、コミケの締切が近づいていることもあり、漫画方面での色々なやり取りが見聞きされる機会が増えてきた。当方は漫画を描ける技術はないけれど、複数の切り口の組合せで物事を表現するという観点では、図版と文章の組合せについて色々と考えることも多く、時に図版だけ勝手に引用......というか盗用されて、その意味するところを誤解釈される事案を結構体験しているだけに、この「状況を説明するためのセリフ」「セリフを勝手に変えられて意図する表現とは別のものができてしまう」という話は、じんわりと理解できるし、非常に参考になる話でもある。

漫画作品の楽しみ方は人それぞれだけど、当方の場合「これはステキ」とランキング出来るものになると、セリフと人物描写、さらには周辺の環境描写まで含め、読んでいるうちにその世界に浸透できるようになるんだよね。そこまで考えて描き手は作品に注力している。だからその一体感、バランスが崩れると、あっという間に「引いてしまう」、現実に戻されてしまう。舞台劇とか落語と同じで、夢中になれるようなものなら、まるで本物の状況が見える錯覚すら覚えるけど、何か雑音が入ったり、違和感を覚えると、すっと現実世界に引き戻されて、演じている役者としてしか見えなくなる。

漫画のテキストのセリフを勝手に修正するってのは、例えるなら落語の最中にお客が携帯電話の呼び出し音を鳴らすようなものなのかもしれない。


誤字脱字、日本語レベルの明らかな間違い、倫理上の問題なら校正も仕方ないのかもしれないけれど、原作との絡みで云々ならば今後の調整にも活かせるので一言描き手側への連絡は欲しいところではあるし、ましてや編集側の思いつき・思い込みでの変更ってのは、多分に力関係の誤認的なところが編集側にあるような気がする。あるいは単なる「君子危うきに近寄らず」的なところか、それとも単なる力量不足か......いや、漫画では無いのだけど、似たような「勝手に校正されて書き手側の意図が伝わらなくなった」とか、逆に「このように校正をしてくれ」と繰り返し願い立てたのにそれが実現されてなかったって事例は実体験してるものだから。どういうことなんだろうね、これって。


絵は確かに絶大なパワーを持つけれど、それだけでは完結しない。それのみでの完結作品はイラストであり漫画では無い。これは漫画についての話だけど、当方は自前の記事における図版や写真と文章との組み合わせにおいても、同じようなものだと思っている。

......編集サイドの質が落ちているとの話はちらほら見聞きしている。電子書籍周りではどうなるのかなという不安もある。今後この類の話って、ますます増えて来るんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2014年12月26日 07:38に書いた記事です。

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