「年の功」を論拠にした洞察がいかにあてにならないか分かったという話にならないのか。 https://t.co/vtDiwPOTqi
— Spica (@Kelangdbn) 2014, 12月 26
大本のツイートは直接引用すると当事者にはネガティブな話となるので「自らチェックしてね」ということで。概要的には例のSTAP細胞の件で、科学的な話は理解できないけど当事者の記者会見の様子をみたら「50年近くを生きている自分としては嘘をついているようには思えない」から、口出しをしたいしSTAP細胞はあると思うし、当事者は悪くないというもの。それに対し、「年の功」というオールマイティカードを振りかざした洞察の役立ち度合いが知れてしまうというツッコミ。まぁすべてがすべてではないけれど、今件はそのようなパターンの好例ではある。
先日の【「20代の6割は戦争体験談を聞いたことが無い」の違和感】でも触れているのだけど、経験則は大切だし、欠かせない価値を有するものだけど、それを濫用したらいけないし、すでにその価値が実質的に失われている、あるいは使い方を間違って振り回しているなんてこともあるわけで。
科学は年の功じゃ覆られねえよ
— 寒波到来により三倍になった各務原 夕 (@nekoguruma) 2014, 12月 26
感情論では事実は覆らない。にも関わらず「感情論ガー」でどうにかしようとする風潮。これ、良くないですよね>>公式RTs
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 12月 26
(まぁ、シニア層にとって「理屈でダメなのは分かるけど、でも自分はこうしたい」との自我が強くなるのは理解できますし、それを主張するだけの財力もあるとの自負も持っているのでしょうし、それまで指揮的立場にいてそれが社内で認められた経験を今なお追っている面もあるのでしょうけれども)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 12月 26
(そして加えるならば、2009年秋以降、とりわけ震災以降、多分にその「感情論ガー」を許容してしまった風潮があるのが......ねえ。)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 12月 26
(前にも語りましたが、当方が「感情論」に関して、存在を認め、配慮が必要なのは理解しつつも、基本的には排除すべきだと思っているのは、このような事案があるから。つまり、感情論はひとえに個々の「物差し」で左右されるので、個人が強硬に主張し出したら、正当な論議はそこで終わってしまうのです
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 12月 26
言いたいことはほぼ語られているけれど、感情(論)が当人の本質、性質的なものに加え、経験によって構築されるところが多分にあることを考えれば、経験の絶対真理正義的な発想が、感情論を最優先する流れにつながっているのかなあ、と。そして感情論は自分の欲求が多分に込められているので、それが果たせれば満足感も極めて大きい。一度それを経験してしまうと、同じ事を何度でも繰り返す、学習してしまう。感情論に極端に傾注している事案ってのは、その快楽を知ってしまった結果、なのかもしれないなあ、と。
......昨今の首をかしげるような政策(経団連の提唱施策とかね)においては、この類の経験に基づいた感情論が意思決定部分(にいる経験豊富であろう)シニア層で多分に働いている部分もあるんじゃないかな。だから冷静になって現状環境を見回し、論理的に考えれば「それはほこりをかぶった考え」「前世紀の話を持ち出して」ということが平気で出てくるのかもしれない。
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