マクロとミクロと街角インタビューの限界と

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先の「トリクルダウン理論」周りの話とか、現場経験偏重主義との話とも連動する雰囲気のある内容ではあるのだけれど。景気関連や政策批判の際に良く使われる、この類の街頭インタビュー。調査方法をしっかりと明示しているわけでもないし、回答者のサクラ疑惑も後を絶たないため偏向編集のリスクがあることはさておくとしても、一人一人への回答を抽出してそれをあたかも全体の意見のようにとらえたり、さらに個々の感触を経済全体的なものと誤認させるような表現ってのは、経済や政治を論ずる場面での素材としては適さないのではないかという話。要は木を見て森を見ず的な、ミクロの一部分のみを抽出してマクロを見定めていないという話。


伝え手側としては「木」の中に伝えたい意見を求めて抽出して「森」のように見せたいという意図もあるんだろうし、「森」を語るだけのリソースも無いのだろう。そして報道が経済や政治を語る際には、概してマクロ的な、「森」の見方が求められる。家計の節約術や今日からできるライフスタイルを楽しくするおばあちゃんの知恵袋的な話は「木」の部分、ミクロでいいけれど、それを全体にも適用させるからおかしなことになる......

......ってああ、これは以前言及したこともある、芸能系のスタッフがそのまま報道系に流れたのと関係があるんだろうな。いつまで経っても国債を「国の借金」として表現する、「分かりやすいものが正しいとは限らない」の典型的な事例を呈し続けるのも、結局テレビ局全体の構造が歪んでしまった表れの一部なのかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2014年12月 4日 06:59に書いた記事です。

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