これ、ホントに意味不明。何を「説」いているのか。 @murachan2671: 社説 - (衆院選)きょう投票―「私たち」になるために:朝日新聞デジタル http://t.co/lbVqnOBvfi
何言ってるのか全然分からん(´・ω・`)
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 12月 14
さっきの朝日新聞の社説、ホントにひどい。法学者が再読して意味不明とは。入試の難問奇問になるのを期待してわざと悪文を載せたのではないかと、疑いたくなるレベル。察するところ、投票日当日なので政党支持の旗幟を鮮明にできなかったのだろうが、こんな社説なら、載せないほうがマシ。
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2014, 12月 14
記事曰く『民意は数の多寡だけではかられるべきものではない』...民意が正しい選択かは別だが、民意測るのは数の多寡しかない。社説がこんな事すら理解出来ないなら廃刊した方がいいよ→(社説)(衆院選)きょう投票―「私たち」になるために:朝日新聞
http://t.co/Qm1dg1Ubzn
— 青木文鷹 (@FumiHawk) 2014, 12月 14
どうやら大手新聞社には「社説」のコーナーを「何を好き勝手に書いても良い、自由帳」「言論の自由奔放、フリーダムエリア」的なものとしてとらえている雰囲気が強い。「社説」っていうからには会社の論説であり、それは会社、その新聞全体を代表する意見であり、いわばその新聞社の看板的なもの、イメージキャラクタのような立場にあるのだけれどね。
先日の朝日新聞の社説では、選挙直前ということもあり、そのフリーダムさに拍車がかかっていた。まさに「お前は何を言ってるんだ」的なもの。
まぁ実情としては新聞社の中で年配のスタッフがその想いを自由に書き連ね、問題があるようなものでも、その肩書、重鎮度から、誰も手を出せないところもあるのだろうけど、それは理由にならないよね。理由になるからこそ、先の吉田調書や吉田証言問題のようなことが起きるのかもしれないけど。
指摘もあって、2009年夏の総選挙翌日の社説を確認したところ
民主圧勝 政権交代―民意の雪崩受け止めよ(朝日新聞社説:2009年8月31日(月)付) http://t.co/PcI6gKi2RE
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 12月 14
まぁ、言ってることが180度逆。先日のは「数が民意とは限らない」で、2009年は「数の結果が民意である。受け止めよ」。どちらだよ(笑)。で、挙句の果てに本日の社説では【自公大勝で政権継続―分断を埋める「この道」に】にもある通り、今話題のトリクルダウン理論の否定まで持ち出している始末。
@Fuwarin (・w・) そもそも累進課税がある程度高い時点で、日本の場合って税によるトリクルダウンが成立してると言えなくもないのが色々とアレ。
低所得者層の賃金上昇以上に、税収の伸びが起きてるのはどこから得られてるかって話になるし
— moltoke◆Rumia1p (@moltoke_Rumia1p) 2014, 12月 14
ツッコミ所が山ほどあれど、この調子でツッコミ入れてたらリソースの無駄としか思えなくなってきた。
これが「文化」だというのなら、そんな文化など熱湯消毒の上、廃棄処分した方がマシかな。
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