「平面図が平面に見えてるうちは素人」という設計屋界隈のジョークとは

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文字の前後を入れ間違っていたり、図形の一部分が異なる様相でも、人間は脳内で補完したり組み立て変えて、本来あるべき姿として認識してしまう。似たような仕組みで、よくある「ちょいと視線をずらしたような絵を並べて作る」ステレオグラムではなく、同じ絵を左右に並べたニセのステレオグラムでも、立体に見えることがあるという......というか昔の人はそれがスマートに出来たらしい。感性とか感触ってのは文字で疑似表現は可能でも、それそのものの感覚をそのまま記録することは出来ないので、心象的なものまで当時の状況を推し量ることは難しい。


周辺環境が変わってくると、それに従い人間の内情的な判断能力も変化していく。昔は指摘されているような立体視も出来たのだろうし、する必要がある場面もあったのだろうけど、今ではもっと簡単な方法が色々と出てきたので、かつての能力は後ろに引っ込んでしまったんだろうね。自動車免許を持っていても、何年も運転していないと運転方法や感覚を忘れてしまう、みたいな。


当方は造形......というか美術的センスが壊滅的にダメな人間なので、絵が描ける人とか立体的な造形を作れる人を素直に尊敬するし、別次元の感覚・センスを持っているんだろうなあ、と想うことがある。頭の中にイメージが出来て、それを実態のものとして手で作り上げられる。この工程において、脳内のイメージが立体的に、本物のように見える、さらには元となるデザインを平面で見ても、それが完成図のような造形として頭にイメージされる。そういう方面の回路が脳内に構築されているのではないかな、と思ったりする。

「平面図が平面に見えてるうちは素人」。設計屋のジョークと語られてはいるけれど、設計関係者に限らず、造形を生業としている人に共通するお話なのかもしれない。そしてその方面で今では恐らく失われていたであろう過去の人たちは、その能力で様々な作品を生み出していったのだと思うと、昔のあれこれを見る目も変わってくる......と思うのだな。

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このページは、不破雷蔵が2014年12月16日 06:59に書いた記事です。

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