そういや、ヘイトスピーチ規制って、「日本人による外国人差別発言」を規制の対象としていると思うんだけど、「外国人、在日外国人による、日本人、日本に対する差別発言」なんかも規制対象になんのかな。
あと、マスコミによる政治家差別発言とかも。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 12月 21
今後細かい定義が成されるはずではあるのだけど、今件に関しては現状で、声高に語っている方々の少なからずが、その規制や主張における見た目の正当性を傘にして、色々と「やらかしそうな」気配を見せている......というかすでにやっている、具体的には「自らの都合のよいように善悪を自在に判断している」感が強いので、指摘されている懸念は大いに理解できる。包丁は料理を作る際には欠かせない道具ではあるけれど、使い方次第で人を傷つける道具にもなる。そしてそれを乱暴者が手に取ろうとしている、そんな感じ。
それがヘイトかそうでないかは、事前に規定できるものばかりじゃないから、その都度誰かが判断しないとならないんだけど、多くの場合、「被害者の被害申告」でそれがヘイトかどうか決まる図式になる気がするんだよなあ。
つまり、被害者が自由に加害者を設定できる仕組みになる。
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また、被害者当人ではない第三者が「傷つく人がいたらどうするんだ!」というロジック(弱者の代弁者というポジション)でヘイト認定の権限を勝手に行使する、ってのも起こりうるな。
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これは、「人権法」のときにも出た問題で、「誰がそれを差別と認定するのか」みたいな。
んで、政府から独立した第三者委員会が判定する、みたいな草案だったはず。その第三者委員会に「差別される側」の人たちが入ると、「気に入らない対象者」を片っ端から人権侵害者認定、差別化外車認定できる。
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第三者委員会にあんまり大きな権限を与えて、政府の管理下から独立させすぎるのはよくないんじゃないか、という感じで、なんか人権法はいろいろ懸念があって、その懸念はヘイトスピーチ規制法でもまるまる出てくるとは思う。
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政府から独立した第三者委員会に過大な権限を与えること(第三者委員会の決定に行政も従わなくてはならない)のデメリット、というより欠陥に近いリスクの例としては、「原子力規制委員会」なんかが、そのわかりやすい悪例だと思う。
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国民が選出したのではない第三者委員会の委員の決定が、行政よりも司法よりも高位の意思決定機関になってしまうっていうのは、いいわきゃないんだけど、ヘイトスピーチ規制法の「何がヘイトと認定されるのか?」を決める仕組み次第で、超悪法になるか骨抜きになるかが決まる。
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という取り越し苦労をしているうちに眠くなってきたので、きっと僕が寝ているうちに誰かが「それはね」って教えてくれるに違いない。おやす...... ぐーーーーーーーーーー
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2014, 12月 21
ガイドラインに関する危惧は以前【政治家の言動の切り貼りにガイドラインは無い、ならば最後にはボーカロイド化するのではないかという発想】でも触れた通りで、仕組みがいかに正当性を有するモノでも、それをコントロールするガイドラインが傍若無人化したら、結局仕組みそのものも暴走してしまう。第三者委員会が神的な存在で絶対的な公明正大的決定のみを下すのならまだしも、概してさらなる監視の仕組みをもうけないと、得てして暴走してしまい、誰も手出しが出来なくなる。「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」ってやつだ。その実例は上記指摘にある通り、現在もなお存在している。
今件に絡んだ話としては、ニュアンス的に近いように考えているのは、某誤報検証機関。生い立ちの時点でいくつか指摘をしてくれたところがあったけど、最近それをとみに思い返すようになった。少しずつ、でも確実に、危うい方向に舵とりをしているように見える。怪しげな人たち(自称ジャーナリストな方々とか)に媚を売ったりアプローチをかけたり取り組もうとしているあたり、「誤報の源にすり寄ってどうするの?」的な。
ともあれ。一部の人たちの思惑で、多くの人たちが悪しき足かせをさせられるのは、勘弁被りたいものだな。
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