ベイマックスがファミコン時代に出た映画だったらドッターは苦労したんじゃないかと思う。以下の理由で。 pic.twitter.com/el4SJSY74E
— KUNIO (@kunio9209) 2015, 1月 7
前世紀末期に国内外を問わず浸透し、家庭用テレビゲームの始祖的な存在として今なお語り伝えられている、任天堂のファミリーコンピューター、略してファミコン。当時としては高度な機能を有していたのだけど、それでも表現力には限界があり、表したい対象をドット(グラフィックの点々)で描写する際には随分と省略することが求められた。見方を変えれば、いかに少ないドットで対象をそれっぽく見せるかがドッター(ドットを使って絵を描く人の総称)の腕の見せどころではあった。
昨今色々な意味でムーブメントを起こしているベイマックスが、もしファミコン時代の作品だったら、当然ベイマックスのゲームもファミコンで登場しただろう。でもその時、キャラクタとしてのベイマックスをドットで表現するのは大変だったのではというお話。まぁ、指摘の通り3ドットを使わないとロボコップのように見えてしまえなくもない......
RT> ドッターなめるな。 pic.twitter.com/22jJtkL0XL
— TINY野郎 (@tiny_yarou) 2015, 1月 7
と思ったら、16×16ドットでベイマックスを再現した人が居た。確かにこれならベイマックスと一目でわかる。ファミコン時代のキャラクタ描写が多分に「雰囲気」を求めていることを、改めて実感させられるお話ではある。
最近ではスマホでも高解像度のビジュアルが増えてきてはいるけれど、「雰囲気」として認識させる手法の観点は需要は尽きることは無い。ファミコン・スーパーファミコンからプレイステーションなどの高解像度の演出が可能な端末に家庭用ゲーム機がシフトした際に、ドッターは需要が無くなり滅亡するのでは、という話もあったようだけど、今件のような話を見る限り、そんなことは絶対に無く、むしろますます需要が高まるような気がする。匠の技的なところが多分にあるからね。
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