私個人の経験ではあるが、子供に今まさにDQNネームをつけようとしている親は、非常に真面目に考えている。なので、親戚や友人から「それはやめとけ」と言われても、翻意することはまずない。本人たちは誰より頭を使ってると自覚があるから。足りないのは名付けに対する真剣さではなく、知性。
— 小熊善之 (@0guma) 2015, 1月 19
ネット上には話の発端となった記事や、具体的な名前の列挙も見受ける事が出来たのだけど、さすがにそれは控えおくとして。一見すると常識からは遥かかなたのベクトルに向けた、それこそ珍走団のチーム名のようなものだったり、アニメの主人公っぽいキャラクタ名だったりという、いわゆるDQNネームなるものを自分の子供につけようとしている、あるいはつけた保護者に関して。「あまりにもふざけ過ぎている」との意見が客観的、第三者的なものとして成されるけれど、恐らくは指摘の通り、当事者自身にとっては至極真面目に考えてつけているに違いない。
要は、周囲は「真面目に考える努力が足りない」という認識ではあるが、当事者は「真面目に考えている」のには違いなく、その「真面目」の方向性が異なるだけ。今件ではそれを「知性」と呼んでいる。例えるなら「100メートル走、真面目に走れよ」と言われているけれど、当人は「ちゃんと全力で走ってるよ」と反論する。けれどその当人は仮装をしていたり、逆のコースを走っていたりするという次第。
この発想、指摘されて「はっ」となる人も多いに違いない。当方もその一人。なるほどこれならはたから見て「どうして!?」と思わざるを得ない名前がつけられてしまうのかも理解できる。ヒストリエの有名なシーン「文化が違う」的なもの。
「今風の名前」と「DQNネーム」の境目って何だろうな...
カーチャン的には「漢字の読みとしてありえない」のがアウト、「こめられた意味がわからない」ならグレーかなぁ。
— 湖西晶@お仕事募集中です (@akikonishi) 2015, 1月 20
@akikonishi 私はしっかり込められた意味があるなら多少の読みの曲げはありかなと思います、多少なら
ちなみに私は「貴い志し」です(
— 栢嶋リン@栢嶋乙女は俺の嫁 (@rin_otome3) 2015, 1月 20
@rin_otome3 そうですね多少なら、と申しますかあくまで私個人の基準なので漢字の読みの正誤にはこだわらないって人も居るでしょうしそれは否定しないです(・ω・)
— 湖西晶@お仕事募集中です (@akikonishi) 2015, 1月 20
結局は感性の部分が多分にあるのだろうけれど、自らの知性、感性だけに頼ると、実は大いに世間一般の常識から外れている可能性もある。名前は言葉通り一生もの。想いを託すのは構わないけれど、同時に配慮も必要だよね。
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