Facebookは「おともだち」、ツイッターは「他人」というメディア感

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一時期世界最強のソーシャルメディアとして大いに喧伝され、使わない人は人に非ずとまるで平家物語の一節のような語りもなされたFacebook。最近ではソーシャルメディア最大の大家であることに変わりはないものの、若年層のFacebook離れとか、Facebook疲れとかが語られるようになった。

その言い回しの使いまわし感を見ると、多分にマスコミ勢の良いネタにされているだけではないかという雰囲気は多分にあるのだけど、若年層がFacebookの密接感ぶりに疲れを来たし、黒塗りの乗用車に......じゃなくて利用をためらうようになり、よりお手軽なツイッターやvine、ツイキャス、YouTubeなどに流れているのも事実(LINEはLINEでより密接感と必要性が強いので、Facebook疲れ云々とは別次元の問題。空気みたいなもので「無いと生きていけない」的な存在)。

この疲れはどこから来るのだろうかという疑問にサクッと答えてくれるのがこの指摘。ああ、確かにそんな点はあるわ。

Facebookで自分のタイムラインに登るのは、フレンド登録している人がメイン。それらの人たちとは密接なかかわり合いとなるので、友達意識が強くなる。主婦における公園友達みたいなものかな。内部では非常に強いつながりがあるのだけど、楽しい場を作ることを暗黙の了解化されてしまっていて、何か妙なことを語るとつまはじきにあってしまう。かくしてタイムラインに上がるのはハッピーな話と料理の自慢。正直、ちょっと息苦しい。

一方でツイッターやvineなどは、もう少し関係が緩い。食堂で一緒に食事をしている人同士のような関係で、同じ場に居る共有感はあるけれど、お互いを気にすることは無い。他人の話に耳を傾けることはあっても、突然話しかけたり、同じメニューを強要されることは無い。「孤独のグルメ」の主人公、ゴローちゃんみたいな楽しみ方と例えれば分かりやすいかもしれない。

どちらを好むかは人それぞれだけど、お手軽感という意味ではやはりFacebookは難しいところがあるんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月11日 08:01に書いた記事です。

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