これはひどい http://t.co/lYHhIY09PP http://t.co/9ji11aSB90 http://t.co/LmuG1b9q3I
— AQN@ヮ<)ノ◆ (@aqn_) 2015, 1月 4
"「デマをリツィートするな」というのはまちがい。本当かもしれないしデマかもしれないから、淘汰圧をかけてみる、というのが正解。"と語るその心理が私には理解できません。「かつての」社会構造を語る社会学者として優れた見識をお持ちだったのでしょうが、今の時代には対応出来てないと思います。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 4
あえてそれ自身の引用はしないけれど、それ関係のツイートをまとめたツイートがあったので合わせて覚え書きも兼ねて。いじめ問題で一家言のある社会学者の方が、デマ情報に関してツイッター上でリツイート(該当する書込み=ツイートをそのまま自分のツイートとして書込み、第三者に広めること。公式ツイートとも)するのは悪くない、むしろやってみるのが正解という主張を堂々となされていて、まさにXファイルの「疲れているのよ」なイメージが脳内を駆け巡る。
「かつての」社会構造を語る社会学者として優れた見識を持っていたのかもしれないけれど、今の時代には対応出来ていない発想では無いだろうか。
そもそも論として「デマ」と分かっている時点でそれを「本当かもしれない」として広める時点で、「デマ」なり「ガセ」をさらに広域に拡散し、それによる被害を積み増しさせるのに加担することになる。分かりやすく例えると、先日のエボラ出血熱の疑いが持たれた人の話。渡航歴や現地での行動状況からエボラに感染したかもしれないけれど、単なる風邪かもしれないから、どんどん外出してしまってもイイじゃん? 感染者が増えればそれが事実だと分かるんだし、みたいなものだ。
「デマ」と確認できる、あるいは「デマ」かもしれないと分かった時点で、まずは拡散を止める。その上で自分自身で検証して事実か否かを精査するのが正しい手法。この社会学の先生の話はまさに先日の【ネットを使う高校生の半数近くは「ネット上の情報が正しいか否かを確認する方法が分からない」現実】で言及した話にもある、インターネット上の情報の取扱いに関して、正しい作法を知らないことになる。
よく考えてみたら、これ、ツイッター、インターネット上の話に限らず、世間一般の社会行動においてもいえることだよね。「デマだということだけど、本当のことかもしれないから、とにかく情報を拡散させてみる、その中で事実か否かが社会全体として分かってくるはずだ」とか、無責任というか、詐欺師の語りと同じだよ。
......とよく前後の言及を見ると、「本当に社会学分野で一家言を持った人なの?」と疑ってしまうような、陰謀論に取りつかれたような語りが相次いでいる。もしかすると、いわゆる「ネットで化けの皮がはがれた」タイプの方なのかなあ。。。。
「肩書や経歴は、その人が語る内容の正確性を担保するものではなく、その真偽を精査する際の材料の一つに過ぎない」ということですね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 4
「現場にいた」「経験則」もその一つ。その経験自身は事実ですが、それを語る際に個人のセンスが加味されますし、その経験が全体像を代表しているとは限らないわけです。「一を聞いて十を知る」とは言いますが、「木を見て森を見ず」ともいいますし、ね。特に昨今は前者を強調する向きが多いので......
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 4
つまりはこういうことなんだろうな。
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