『異物混入「絶無は不可能」 ファミレス幹部の自民議員』http://t.co/8NtTrE8Ibtという記事を読んで実際何を言ったのかと思ったけど、実物見るとhttps://t.co/ThmEOzHxSZまったく正しい指摘だと思ったhttps://t.co/Q0q842Qpkr
— 平民金子 (@heimin) 2015, 1月 10
@heimin リーガル・ハイとか言うTVドラマ(?)に出てくる台詞だそうですが、
「本当の悪魔とは巨大に膨れ上がった時の民意だよ。自分を善人だと信じて疑わず、薄汚い野良犬がドブに落ちると一斉に集まって袋叩きにしてしまう、そんな善良な市民達だ。」
ネット社会では顕著ですね。
— Maikee・石原(機械設計技術屋) (@Maikee) 2015, 1月 10
恐らくは昨年の某カップ焼きそばの話が下地だったと思うのだけど、先日からマクドナルドに関する異物混入話が次々と話題に登る......というか報道されて、さすがに首を傾げる事案も多々出てきた。出てきた内容そのものに加え、そこまで全国放送で公知するものなのかしら、という2つの点。この波及の仕方は昨年の産地・原材料偽装問題と雰囲気を同じくするのだけど、大きな違いは偽装問題では意図的に作り手側が行っていたものなのに対し、今件は意図せずに生じたものが多分に及ぶということ。
そして確率論で冷静に考えれば、完璧にゼロにすることはまず不可能ということが思い返されるのが、上記のFacebook内での指摘。少々長いけれど、Facebookアカウントを持っていなくても読むことはできるので、一読をば。何というか、生じた事象に対しては誠意をもって対処すべきであることに違いはないのだけど、それと「ゼロにしろ」とたきつけるのは別問題だと思うのだよね。絶対ゼロ主義ってのが特に震災以降世の中にはびこっている......というか、それを主張することが正義的な論調が報道や一部ジャーナリストを中心に振り回されているようで、きな臭さを覚える。その報道は誤報やねつ造問題で自身の信頼の土台について問題視される事案が多数発生し、現在も複数の話が進行形なのに。
怒りはごもっともだが呟く前にちょっと考えて! pic.twitter.com/YPmGfrfjed
— アーノルズはせがわ (@ringooooooooooz) 2015, 1月 10
子供の頃某パンに異物が混入してたことがある。母に言うと母がお店の人に持っていき交換返金等の対応をしてくれた。そのあと母に言われたのは「このことを友達とかに言っちゃダメよ。お店に迷惑かかるからね。お店の人も謝ってくれたからね」ということ。そういうこと言う親って減ったのかな。
— 漏るんご(治療中) (@ngo_mol) 2015, 1月 10
@raianhiroto こんばんは。
お店の人がきちんと謝ってくれてたら、それはもうお客とお店の間で終わりの話。もちろん、お店の態度が?ならそうはならないと思いますけどね。
だから安易にツイッターとかで我先にと晒しちゃうのを見ると疑問に思います。
— 漏るんご(治療中) (@ngo_mol) 2015, 1月 10
同時に感じたのが、自分の身にその事案が起きた時の対処の仕方。情報伝達手段が色々と増えて、個人の情報が多分に広がる機会が増えた結果、一人の声が多くの人に影響を与える可能性が多分に生じるようになった。指摘の通りで、企業側がないがしろにした、不遜な対応をしたのならともかく......という感想を抱かざるを得ない。何というのかな、例の唐辛子鼻ツッコミとか、アイスケースの中にダイブした写真を載せて炎上したケースと、根柢の部分で近しい雰囲気があるんだよね。
......とかいうと、必ず「言論を、報道を萎縮させるのか」という話が出てくると思うのだけど、違うのよね。要は「自由」は「自由奔放」では無く、「責任や義務を伴う自由」であるってことなんだよね。「情報」ってのは諸刃の剣なんだよね。その点を理解しておかないといけないと思うのだな。悪質系のまとめサイトやネイバーまとめも、突き詰めると似たような話になるんだよね、問題点としては。
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