まあでも、これも分業化社会の陰というやつで、「ジャーナリストだからあらゆる分野について正しい知識と理解と展望が持てるわけではない」ということだとは思う。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 1月 12
時系列的には前後してしまうのだけれど、先日のフランスでの事件と日本のトップの挙動に関して、ある特定方面で知名度の高い方によるお話が的外れだったことを受けて、色々と議論が持ち上がった件に関して。何度か触れたこともあるのだけど、特定分野で権威的な威光を手に入れたり肩書を持つと、時としてそれをオールマイティカードと誤認して、あるいは意図的にそのように用いて、無敵状態モードであちこちに手をかけてしまう。そして多くは爆散する。算数でクラストップについたからといって、国語も社会もトップにつけるわけじゃない。
ジャーナリズムが相手にするフィールドはとてつもなく幅広く深い。それぞれの分野に専門家が細かく散在するくらいには。
そこを、「分野を絞らないジャーナリスト」が万能に取り組めるほど、社会はもはやシンプルではないってことなんだろうなあと思う。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 1月 12
安全保障問題に、料理の専門評論家が私見を述べるのと同程度には、同じ「ジャーナリスト」であっても分野違いなんだろうなあ。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 1月 12
安全保障問題に、料理の専門評論家が私見を述べるのと同程度には、同じ「ジャーナリスト」であっても分野違いなんだろうなあ。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 1月 12
その意味で、国際政治や安全保障の専門家ではないジャーナリストの認識は、そこらへんのミリヲタや安全保障趣味者と同じかそれ以下程度しかないわけで、ジャーナリスト(該当分野について知識造詣の積み重ねがあるという前提)の肩書はあまり威光を発揮できないんじゃないかしらん。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 1月 12
(問題なのは「核心的利益」のために、その「分野違い」ですらも乗り越えて、自らの肩書・権威を流用...この場合は悪用かな...して、色々とやってしまうということかしらね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 12
問題なのは意図的なのか無意識なのかはケースバイケースだけど、一つの分野で得た権威をあちこちで振り回してしまい、それが通用する、しそうに見える事案も結構あること。大学教授、高級官僚OB、論文掲載経験あり。どこそこ大学の准教授。その実情がどうであれ、また語る分野とは畑違いでも、その肩書や経歴で、内容を信奉してしまう。それをビジネスとしてしまう。内容精査の際の一材料にしか過ぎず、全体を担保するわけではないのに。
別の分野での評価を自負に、守備範囲外に手を出しちゃって、それに元の分野で得た評価が援用できる、と思っちゃう錯覚ってのはあるかもしれない。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 1月 12
例えば僕が実話怪談を四半世紀ほど書かせてもらってて、それの実績が多少認められてたとする。
かと言って、実話怪談の実績で国際政治とか安全保障とかを語ったところで、元の分野での評価がそのまま国際政治や安全保障の話の裏付けになるわけじゃないw(なったら怪談ですよwww
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 1月 12
でも、「自分は実話怪談で評価を得ている。故に、評価を得た自分が言うのだから、国際政治でも安全保障でも自分が言うことは正しい」っていう錯覚に落ち込んでしまう人は、むしろ「他分野で一定の評価を受けた経験がある人ほど多い(陥りやすい)」んじゃないかしらん。
— 「超」怖い話 怪顧【加藤AZUKI】 (@azukiglg) 2015, 1月 12
自動車を運転していると「自分は強い」と錯覚してしまうとか、TV関係者として一定評価を受けたから論説者としても評価の対象となる、とか...。ある特定分野に対する評価を、自ら「全体の評価」と誤認して、無敵カードを手に入れたかのような誤解をしてしまうのでしょう。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 12
そりゃ確かに多数の人に「先生」と呼ばれて頭を下げられたり、辣腕を振るう経験を繰り返していれば、そのような気持ちになるのは理解が出来ます。人って弱いから。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 12
上にある通り、自動車運転をしていると、自分が自動車そのものになったかのような強さを覚えてしまうってのが良い例で。一つの専門分野で芸を成すと、他分野にもその権威が通用してしまうと誤認してしまうのが......人の弱いところであり、悪用されるところでもあるんだろう。
@Fuwarin 感じること一つ。
専門家か否かは、「分からない範囲、つまり知る範囲を明示できること」と私自身は考えています。
これはお師匠様の受け売りですが、その点だけは大学院教育の最低限と妥協はなかったですね。
— へぼ担当@育児中 (@hebotanto) 2015, 1月 12
@Fuwarin 裏返せば、他人の知に対する尊敬でしょうか。
言い出せばきりがありませんが、良く言われる専門外への言及や論評なども同じように考えます。
— へぼ担当@育児中 (@hebotanto) 2015, 1月 12
@Fuwarin 単純に、よく知らない分野で断言してしまうほど、怖いことはない。
その一言ですが、それを一時も忘れずに行動出来る方と、安易に神輿に乗る方の違いですし、後者でも常に逃げ道を確保する扇動と、そうでない大多数。
考えるところです。
— へぼ担当@育児中 (@hebotanto) 2015, 1月 12
これは悪用した事案における、そうならないためのいましめ的なお話。要は「自己の領域を知る」、「無知の知」を認識する、というところなのかな。分からんのならワカリマセーンでいいじゃない、とは思うのだけども、さ。その上で、こう考えるってのは有りなんだし。発想の転換として、画期的な糸口が見いだせるかもしれないからね。
コメントする