前RT:電柱と言えば北斎「赤富士」との組み合わせが無駄にカッコ良かったアレとか pic.twitter.com/UsYA8GNIPu アニメ送電線萌えとか http://t.co/NiPC0HBYSc
— 橋本麻里 (@hashimoto_tokyo) 2015, 1月 14
送電線を上空に配して埋蔵網を構成する電信柱(電柱)は、災害時のリスクや土地の有効活用、そして景観の上で常にツッコミの対象となっている。メリットもデメリットも双方あるんだけど、メリットが浸透化するに伴いデメリットが目立つという、典型的なインフラの事案の一つ。で、景観の上で「電信柱ってよくないよねー」的な啓蒙をするために「電柱が消えたら景色がいいで大賞」なるものが開催され、赤富士と共に描かれた電信柱のイラストが象徴的なものとして展開されたわけだけど......逆に「電信柱、カコイイ!」的な印象の方が大きかったというオチがついた事案。
「電柱が消えたら景色がいいで大賞」に関しては、その富嶽三十六景+電柱がすばらしかったので、かつてこういうジャンクション版と工場バージョンを作ったんだけどさ、 pic.twitter.com/kji5aK1JqK
— 大山 顕 (@sohsai) 2015, 1月 14
今回結果発表見てみたらやっぱり電柱のある風景がすばらしかった http://t.co/e2wCD8Pkwm いやー、この「無電柱化民間プロジェクト」は電柱の魅力を世に知らしめるプロジェクトだったのだ。批判してすまなかった。これからもがんばってほしい。
— 大山 顕 (@sohsai) 2015, 1月 14
ていうかこれ、ぜったい応募者は「わざと」やってるよね。
— 大山 顕 (@sohsai) 2015, 1月 14
さっきの「電柱が消えたら?」 http://t.co/UGK75Inu9I の写真、見れば見るほどおもしろい。というのは電柱あるなしにかかわらず、撮影場所の選ばれ方がまるで素材集のような典型的な「良き風景」なのね。
— 大山 顕 (@sohsai) 2015, 1月 14
例えばそれこそ「電柱がなければ工場がもっとよく見えるのに」とか「電線なければかっこいいロードサイドなのに」いう場所の選ばれ方がひとつもない。つまり「現代都市における風景とは何か」など考えない牧歌的な風景観にもとづいて電柱批判が行われていることが如実に表れてしまっている。
— 大山 顕 (@sohsai) 2015, 1月 14
要するに、仮に「なぜ電柱のある風景はダメなのか」と問うた場合、「それは良き風景というものには電柱がないからだ」としか答えられないという説得力のないトートロジーに基づいていることをこのコンテストは明らかにしてしまっていて、そのことに気がついていないお気楽さがすごい。
— 大山 顕 (@sohsai) 2015, 1月 14
あと写真雑誌に投稿されるカメラ好きの人が撮るような構図が多いのもとても興味深い。まあ、「フォトコンテスト」ってこういう層が応募するよね。このことに「風景とは何か」を考えない無批判な態度に「写真」の作法が荷担してしまっていることをあらためて感じる。カメラ好きは「風景」を見ていない。
— 大山 顕 (@sohsai) 2015, 1月 14
一応撮影者のコメントも配されてはいるのだけど、写真が持つメッセージ性、写真を観た人が得る感覚・感想ってのは人それぞれで、指摘の通り多分に「なんだ、電信柱があった方が逆に良い写真になってるじゃんか」的な感想を抱く人も多い状況になっている。「電信柱、良くない」の啓蒙のためのコンテストの作品が、実態として「電信柱、実はイイじゃん?」的結果を生み出してしまっているのは、何とも人の業の深さよ。そうなんだよね、アクセント的というか、情緒的なプラスαが盛り込まれるんだよね。
まぁ恐らく、主催者側も多分に気が付いていないとは思うのだけど。コンテストの主旨としては......効果はあまりなかったような気がする。
コメントする