「これが面白い」と思ったら即やるべき鋭意作るべきだと思うなあ。「これなら面白いと思われるかな」とかはいつでもできるし後回しでも片手間でもできるものだと思う。前者はその瞬間じゃないと、萎えちゃいますな。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 1月 16
インプットってわりと自動的かつ継続的に行われてると思う。アウトプットって、意識してやらないと超おろそかになるように思う。どんどん出さないと詰まっちゃうゾ! 的な。出せ出せ。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 1月 16
やるべき、言うべき、作るべき、とか言いましたが、無理は禁物。現実、できない時の方が多いと思います。でも、それができる、いいタイミングがくるんですよきっと。そのタイミングを、軽く、長い目で、でも虎視眈々と狙っておくのが、いいかも。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 1月 16
フラッシュアイディアってのはどのレベルか、何となくもやもやとか、結構具体的なレベルとかまではともかく、結構思いつくもの。で、それをすぐに体現化できるか否かは個々の力量やその思いついた内容、そして時間などの物理的な問題以外に、日頃からの心構えも多分にある。特に「これはスゴイ」的なものだと自覚したものは、その場で始められるようなクセをつけたい所。どんなものでもその次の瞬間から気分が萎えてしまい、具体化出来たらスゴいものだったもしれないものでも、手をつけるのが億劫になる。意識化が必要。
「あーこれいいなこれやりたいな素敵だな」「でも時間ないし疲れてるし面倒くさいし」「だから後回し」これが続くとルーチンワーク以外は何も手が付けられなくなる。それで良しとするのならそれもまた一つの選択ではあるのだけどね。発想部分がもったいない。指摘にもある通り、無論、無理は禁物だけどね。
当方もホワイトボードや記事執筆用の共有覚え書きファイルに、思いついたこと、これはいいなあと思うこと、後でまとめて記事にしたり何か新しいコンテンツに出来そうなものを箇条書きやら思った事の殴り書きをしているのだけど(今サイトもそれの一系列)、大よそそれが体現化することは無い。もったいないけどリソースが足りないのも事実だし。でも少しずつ消化しなきゃいけないんだよな。
この発想って切り口を変えれば「ぱっと思いついた瞬間に行動させること、後押しすることで成果をあげる」ことを意味する。そう、ネット通販が流行る理由でもある。アマゾンの「1クリック注文」ボタンと同じだな。面倒くさいプロセスを経由しているうちに熱が醒めてしまう。鉄は熱いうちに打て。......まあフラッシュアイディアという名前の鉄は、打ってみたら単なる屑鉄になったってことも結構あるのだけど(笑)。
自分のアウトプットをみる人(観者/読者/聴者など)を、積極的に想像/妄想して、そのアウトプットがどう受け取られているかをなるべく正確に知ろうとするのは、かなり大切。自分の表現の客観視ですな。過度にすると良くないと思うけど、全然しないとたぶん悩んで悩みのスパイラルに。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 1月 16
若干の共通的企業秘密ですが、敏腕編集者は「頭の中に数パターンの読者がいて意見を言ってきます」的なことを共通して言います。脳内で読者をシミュレートし、より効果的な記事作成に役立てているんでしょうな。想像力の賜物ですね。しかしその想像力を今現在の平均値に保つのも大変なようです。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 1月 16
表現の受け手(読者や視聴者)をシミュレートするには、まず受け手をよく観察することと、できれば対話などしての意識の理解をすることだと思います。そういうのを端折ると「自分本位の妄想」になって、効果薄かも。洞察力を総動員しつつ超観察しつつ時々洞察を常識に基づいて正常化する、的な。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 1月 16
一方これは【あの大先生がはるか昔に提唱!? 架空人物を対象にマーケティングする「ペルソナ戦略」】でも解説した「ペルソナ戦略」そのもの。受け取り手の対象を架空の人物として仕立ててシミュレートし、受け取った側の反応を考えて、かじ取りをする。多数の人物が登場する物語を書き連ねることが出来る人、漫画や小説などを感情移入バリバリで読める人にはさほど難しくは無い話ではあるのだけど。
@stapasaito 難しいですね。文章は読み手ではなく、やはり書き手側の責任だと思います。万人に同じ意図で伝えるのは難しく、読者をシュミレートする、そのバリエーションを増やすという考えはご最もだと思いました。
— 五十鈴@舞鎮魂 (@isuzu0812) 2015, 1月 16
そうなのか。読み手を意識せず書いちゃう人の多さが妙にわかってショック。書き捨て感覚なのかな。言葉も文章も、案外じわじわ薄く響き続けてあれこれタイヘンすよ。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 1月 16
あと、こういうことが、どう転ぶと危険につながるかも、プチ考えると、プチっと安心感が増えるかも。無駄な不安や危険は消滅させる方向でゼヒ。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 1月 16
今風にいえばラノベ感覚、昔風なら随筆風、かな。それは一つの手立てではあるのだけど、すべてがそれだと困ってしまう。見方を変えて、読み手を意識しない書き方を自分流と見定め、それをつき進めることで自らの味わいとして高みに上げて個性化・魅力化するという手口もあるのだけど......これは成功事例はごく稀。ラノベで成功した作品がごく一部で、それ以外、商品化しないものも含めれば多数、単なる駄文でしかないのと同じかな。
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