秋月電子通商も千石電商も確かに素晴らしいけど、地方でほぞぼそとやってる、電子工作キット販売店やタミヤの楽しい工作シリーズをおいているような模型店ももっと評価されるべき、とか思う。
— 八谷和彦 (@hachiya) 2015, 1月 18
昔のように半田ごてを使わせる工作は無理だろうなあ...
なんでもかんでも「危ない」「うちの子が怪我したのは○○のせい!!」なモンスターが跋扈すると、そうじゃない人が何と言っても使わせられなくなる(一部のアメリカの小学校では希望しないとハサミ使わせないのと同じで)。
キット化必須だね
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
ディアゴスティーニが展開するような、パーツが用意されていてそれをさっくりと組み立てるタイプの商品は増えて来たし、ガンダムなどのアニメ系プラモでもあまり塗料やカッターの存在を気にせずにステキアイテムが創れる時代。半田ごてやらカッターやらパテやらを使うことが皆無になったわけではないけれど、子供の遊びとしての場、素材の提供は少なくなってきた感がある。
昔からいわゆるモンスターペアレンツ的な存在はあったのだろうけど、そのような存在が社会に認識される、アリなんだと認められるに従い、その事案が増えてきた感は否めない。もちろん教育をする学校側の体質の変化も一因だろうけど。あとは情報が広域に広まりやすくなったということかな。精々地元周辺の話しか出回らなかった昔と異なり、全国の、さらには世界中の話が身近な問題として飛び込んでくる。確率論的にはごく一部に違いないのに、そのごく一部の事案が抽出されるので、たくさん生じているように見えてしまう。そして危ない、リスクがこんなにもある、だから止めさせろとの話になる。
『半田ごては使わせない』方向で考えてあげると、つまり電子ブロックって事になるんだけどねw
あれはあれで面白いです(アプリでも出てたよね、似たようなのが)
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
見学ならまだ良くて、別教室で別授業って事になるかもですよ(一部の州の小学校では「工作」が選択科目に...)RT @KIYO299 親にいちいち許可証と念書をとり、取れなかった場合はその子は見学させるという授業風景が出てくるのかな?(´ω`)
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
「怪我をしても訴えません」と念書を取っても「訴えるに決まっているでしょう、治療費がかかるんだから」と訴訟を起こす親と言うのが絶えなかったので、授業自体が無くなったという側面もあるのだとか。
...ある程度の怪我は「あんたの不注意!」と子供の頭をゴンするくらいで良いと思うけどね。
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
「怪我をすれば痛い。注意すればほとんどの怪我は避けられる」
これを命に関わらないレベル&機能に障害を残す事なく教える、というのはかなり重要かと。
火の使い方を知らないまま育って、ある日バーナーを覗き込みながら点火するような大人になったら困るよ。
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
刃物は普通に使ってましたよね。研ぎ方は家で教わったけど RT @MilitaryP_MMD 昔は怪我するのも使い方覚える内やったから、小学校低学年で配って、鉛筆削り器使用禁止やったんよね。切れ味の落ちた小刀の研磨の仕方はおしてえくれんかった(脱けてた)から、そこは苦労した
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
昨今の商品で怖いなあと思うのが、「子供用の刃物なので切れ味は落としてあります」という商品。
逆です。
力を入れずにスッと切れるものにしておかないと、変に力を入れて刃物が滑ったあげく、全力で自分の腕を刺したりします。
指の皮を削ぐだけで済ませるという発想も必要。
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
変に力を入れずに操作できる(コントロールを覚えるためにも重要)、刃物の滑って行くであろう先に手を置かない(意外にこれが出来てない大人も多い)、適切な刃物を選ぶ。
こういうのも子供のうちに覚えたほうが良いと思うんですよね。
体で覚える事の一つでもあるので。
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
そこに「張り渡したロープに自転車で全力でつっこみ首に怪我をする」を追加すると私になりますw @Soco2P ハサミの先で指先はさんで、カッターで紙押さえる手切って、彫刻刀滑って押さえの手にブッ刺して、鉄棒から落ちて頭打って、家庭科で手切ったり火傷したり針刺すのが小学校の様式美
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
. @tu_mugi 「小さい怪我に懲りて、これ以上痛い思いしなくて済むように考えるようになる」という方法も必要だと思うのですが、今はなかなか受け入れがたいものとなっているようです...
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
切れ味の鈍った刃物をシャコシャコ研いで綺麗に切れる時になった時も楽しいです( ̄▽ ̄)@MilitaryP_MMD 切れない刃物で切削して苦労するより、簡単に切れる方が楽しいのにねぇ。
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
命に関わる怪我、機能障害が残るような怪我はそらあかんけどね。
傷跡くらいは許容したいところ(といいつつ私自身は10代の頃にスキーで全力でコケて腕の動きが悪いけどな...だからといって子供の頃にスキーするの禁止されたかったか?と言われればNOなんだよね)
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
野菜切ってる時の刃物を持ってない方の手のポジション、作業中によそ見しない事、切れない包丁はすぐに研ぐ事、なんてのも重要だよねえ...
あと、「固くてでっかい野菜を菜切り包丁で無理に切ろうと思わない事」。
男女問わず怪我していらっしゃるのですよ、これが。
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
あとはもちろん「無理して自分でやろうとしない」も重要かな。
お金はかかるけど、プレカットものを使うと云うのもアリ。
刃物を扱う技術がありません、ってことを自覚してもらうのがまず必要かねえ......
— KGN (@KGN_works) 2015, 1月 18
科学分野や新商品の実証実験などにもよくあるように、実用に耐えられる、商品化できるレベルに到達するまでには、商品の様式として完成した後も、試験利用・運用が繰り返され、問題点が抽出され、改善に役立てられる。論理上は正しくても、実際に動かしてみて初めて分かる、気が付かなかった問題点も多いからね。出版の際の校正とか、ソフトウェアのβ版テストとか、オンラインゲームの運営開始後のバク山盛り状態とか、有名どころではオスプレイの試験運用時の話とか。
子供の時の教育、色々な経験ってのは、この実証実験、先行運用的なものと同じと考えると分かりやすい。要は一人一人が経験の中でトライ&エラーを繰り返し、問題点を学び、大人になってから活かせるようにすること。上の例で挙げると、包丁は切れるもので料理に使う道具との知識を知っていても、堅くて大きな野菜を普通の包丁で切っちゃマズイってこととか、包丁を使う際の注意事項ってのは、教わりながら何度となく繰り返して実体験しないと、なかなか習得できないんだよね。
失敗を知らないと、正確には失敗による経験を知らないと、大きくなってからその失敗に遭遇した時にパニクってしまう。まぁ、無菌培養栽培のまま一生を過ごせるような人ならそれでもいいんだろうけどね。
大人にとっては「子供のために」とした手立てが、実は中長期的にはむしろ子供に害を与えてしまうことになる。大人の「子供のために何かしてやった」という自己満足を容易に得るための手立てとして、「子供のために」を掲げて振り回した結果、子供に必要な経験を奪ってしまっている。そんな気がするのだけれどもね。
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