半田ごてとかハサミとか...実際に使って「痛い目」にあうことの大切さ

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ディアゴスティーニが展開するような、パーツが用意されていてそれをさっくりと組み立てるタイプの商品は増えて来たし、ガンダムなどのアニメ系プラモでもあまり塗料やカッターの存在を気にせずにステキアイテムが創れる時代。半田ごてやらカッターやらパテやらを使うことが皆無になったわけではないけれど、子供の遊びとしての場、素材の提供は少なくなってきた感がある。

昔からいわゆるモンスターペアレンツ的な存在はあったのだろうけど、そのような存在が社会に認識される、アリなんだと認められるに従い、その事案が増えてきた感は否めない。もちろん教育をする学校側の体質の変化も一因だろうけど。あとは情報が広域に広まりやすくなったということかな。精々地元周辺の話しか出回らなかった昔と異なり、全国の、さらには世界中の話が身近な問題として飛び込んでくる。確率論的にはごく一部に違いないのに、そのごく一部の事案が抽出されるので、たくさん生じているように見えてしまう。そして危ない、リスクがこんなにもある、だから止めさせろとの話になる。


科学分野や新商品の実証実験などにもよくあるように、実用に耐えられる、商品化できるレベルに到達するまでには、商品の様式として完成した後も、試験利用・運用が繰り返され、問題点が抽出され、改善に役立てられる。論理上は正しくても、実際に動かしてみて初めて分かる、気が付かなかった問題点も多いからね。出版の際の校正とか、ソフトウェアのβ版テストとか、オンラインゲームの運営開始後のバク山盛り状態とか、有名どころではオスプレイの試験運用時の話とか。

子供の時の教育、色々な経験ってのは、この実証実験、先行運用的なものと同じと考えると分かりやすい。要は一人一人が経験の中でトライ&エラーを繰り返し、問題点を学び、大人になってから活かせるようにすること。上の例で挙げると、包丁は切れるもので料理に使う道具との知識を知っていても、堅くて大きな野菜を普通の包丁で切っちゃマズイってこととか、包丁を使う際の注意事項ってのは、教わりながら何度となく繰り返して実体験しないと、なかなか習得できないんだよね。

失敗を知らないと、正確には失敗による経験を知らないと、大きくなってからその失敗に遭遇した時にパニクってしまう。まぁ、無菌培養栽培のまま一生を過ごせるような人ならそれでもいいんだろうけどね。

大人にとっては「子供のために」とした手立てが、実は中長期的にはむしろ子供に害を与えてしまうことになる。大人の「子供のために何かしてやった」という自己満足を容易に得るための手立てとして、「子供のために」を掲げて振り回した結果、子供に必要な経験を奪ってしまっている。そんな気がするのだけれどもね。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月19日 07:31に書いた記事です。

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