[ゲームの「面白さ」の変化。10代?20代100人に聞いて思ったこと。 http://t.co/HwTnGHoybr ]昔からそういう流れはあったし、数年前からアクションやFPSにも強化育成収集要素がどんどん追加されてる。そういう要素がないゲームは限られたごく一部だ。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
最近はLINE系で顕著だけど、ハイスコアを競うタイプのゲームなのに成長要素があって、キャラ性能で得点が大きく増えたりする時代だものねえ。結局「腕前を競う」ってなった場合に下手な人全員を切り捨てる事になるから、基本無料ゲームでそれをやることは絶対ナシだものねえ。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
先日動画、映像周りの消費者性向について言及した【映像の視聴者の好みは「短いモノ」、ネット動画が流行るのもそれが原因】とある意味通じるところがある話。鈴木みそ先生の「盲導犬ゲーム、絵本ゲームを好む人が増えてきた」という話はすでに数年前の語りではあるのだけど、その流れがさらに邁進したような雰囲気を覚える。
「つまみ食い」とはよくぞいったもので、量が増えると一つ一つを堪能しきることは出来ないので、ついついそれぞれをちょっとずつ楽しみたくなる。長期間堪能なんて無理無理。すぐに成果が、結果が、成長を知りたい・体感したい。プレイヤー自分自身が成長するのなんて待ってられない。考えるのって面倒くさいし。本来プレイヤー自身が成長してその結果が反映され、ステージが先に進むというタイプのゲームが求められていたのに、いつのまにかゲーム内のキャラが数字的に成長するタイプのばかりが求められるようになる。まぁ、指摘の通りゲームそのもののビジネスモデルが多分に影響しているのもあるのだけど。
基本無料ゲームは多くの人に集まって貰いたいから多くの人が楽しめるように腕前の比重を減らしてデータの強さで勝負させる。基本無料ゲームは長く続けて貰いたいから成長要素が必要。そもそもとして、ドランシアが基本無料タイプでわりとガチのアクションをやったというのが商売と合致してないかも。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
特にスマホゲーはタッチ操作の都合上、難しい操作や複雑なアクションをさせることは難しい。そうなるとアクションを作りたくてもアクション性が弱いゲームになる。アクション性が弱いとゲームとして物足りないので、成長要素を入れざるを得ない。スマホだとどうしてもそうなるよね。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
そもそも「プレイヤーがゲームに何を求めているか?」というのが大きく変わってきているものね。昔は「遊び」の一種として、手触りや攻略という「道中」を主に楽しんでいたけど、今は「仕事」の一種として、達成感や報酬などの「結果」を目的とするようにシフトしてきているから。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
昔のゲーム、それこそピンボールやゲーセンのゲームは「1UP」こそ最大の報酬だった。なぜなら「プレイすることそれ自体が最高に楽しかった」から。ゲーム自体が新鮮な時代だったとか、我々が子供だったからとかそういう理由かもしれないけど、少なくとも昔はコントローラー握れるだけで嬉しかった。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
でも今はなんとなく「報酬がない物に無駄な労力をかけたくない」と思うようになってしまった。ゲームという遊びそのものに飽きてしまったのかもしれない。あるいは我々が大人になってしまったせいかもしれない。「成長」という名の麻薬に犯されてしまっているのかもしれない。けど、今はそういう時代。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
何らかのリターンが無いと、単なる時間の浪費でしかないという認識に至ってしまうのは、大人に限らないと思う。あるいはその領域に達するまでの時間が短縮化されているのかもしれない。それもまた、多種多様な素材がちまたにあふれ出て、誰もが気軽に手に取り時間を費やせるようになったからなんだろうね。情報化社会による「慣れ」までのスピードアップ。
現代の大人ってゲーム以外でも「自分の成長」をすごく重視している感じがあって。例えば大人に人気が出る漫画も、単に「物語が面白い」「キャラが魅力的」なだけではなく「新たな知識を得られる」という付加価値が高確率で付いてくる。ドラゴン桜とか銀の匙とかとか。だ
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
成長要素を強く求めないプレイヤーは、逆に「世界観」や「ストーリー」「話題性」などの付加価値をゲームに求めるような印象も感じる。ゲームを通じて何か思考したい、それを語り合いたい、みたいな。「楽しむため」ではなく、サブカル的な「知識を収集するため」といった印象がある。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
任天堂が苦戦してる理由としては、今連続で説明した内容が関係してるのかも? 任天堂は「世界観」「ストーリー」「成長」「報酬」などは二の次で、ゲームとしてのさわり心地や攻略の楽しさなど、「道中の面白さ」を最優先でゲームを作っているから、それ以外の付加価値を求める大人には売れないとか。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
純粋に「遊び」としてのゲームに魅力を感じなくなったのは、たぶん「ゲームをやりすぎた」せいなのかなとか。だから何かしら付加価値でもないと遊ぶ気になれないんだろうと。気になるのは、ゲームをやったことのない大人がゲームの魅力に触れ、その際に最初から「成長要素がないと」って言うかどうか。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
@tail_y たぶん「ゲームに飽きてる」のではないかなと。自分の場合、最近ピンボールを始めたんですが、何も報酬もないし腕の成長も頭打ちなのに、ボールを打つ快感を得たいがために連コインするくらい楽しんでます。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
自分もゲームを幼少時代からずっとやり続けてるせいで確実に飽きている。成長要素も既に飽きてる。でも新しい味わいのゲームやより美味しさに磨きがかかったゲームは楽しめる。で、最近始めたピンボール。超楽しい。こんなの味わったことない。新鮮すぎてただプレイしたいがために連コインしてる。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
付加価値がないゲームには興味を示さなくなった自分が、ピンボールは純粋に「遊び」として夢中になってるし、あとボードゲームも非常に楽しんでいる。ゲームに成長や報酬などの付加価値を求めてしまうのは、単に「デジタルゲーム」という素材の味に飽きてしまっていただけなのでは、と思ったりする。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
成長要素の麻薬性。「人は何故生きるのか」への答えが「成長するため」と言い切ってしまっても間違いではないと思うくらいには、人間は本能レベルで「成長」が大好きなのだと思う。だから成長要素が入ってるゲームは麻薬なのだ。成長要素が入ってないゲームは麻薬じゃないのだ。という話なのかも。
— ニカイドウレンジ (@R_Nikaido) 2015, 1月 18
成長要素がアレ......ってのは色々と考えさせられるところがある。例えばプレイヤー自身の腕の向上で、どうしてもこれまでクリアできなかった面をクリアし、先に進むことができるようになれば、自分自身の成長を知ることが出来る。でもそれって面倒くさいし、ハードルは高いし、明確化されたものじゃない。パズルゲームが顕著で、プレイヤーが成長できないこと、つまり特定の場所から先に進めないってことも多分にある。
それよりは画面の上で「レベルが上がった」と表示され、確かにこれまでよりも一層先に進めたり強い武器を使えるようになった方が容易に達成感を得られ、ビリビリと来る。気持ちは分かる。
その類のゲームが増えている、しかも質の良いものが次から次へとやってくる。そりゃ容易にに取りつかれるし、夢中になるし、飽きるのも早い。これまで一流料理店のカレーを食べたことが無い人が口にすれば、「こんな美味いの初めて食べた」と病み付きになるけれど、それを毎日三食食べ続けていたら、一週間もしないうちに飽きてしまう。で、シンプルなインスタント系のカレーに懐かしさを覚える。その時点においては、むしろそちらの方が「新しくて美味い」から。
結局のところ、ゲーム内そのものに報酬・成長要素が無いと敬遠されるのも、付加価値が無いと魅力を覚えないのも、逆にシンプルさにこだわったゲームに魅力を覚える機会が生じるのも、ひとえに人の本質「新しい」「感覚を満足させる」をついているか否かってところにあるんじゃないかな。
......ということになると。一つのゲームに「プレイヤー自身の成長」「ゲーム内での成長」「何らかの外部的付加価値」を全部盛り込めば、プレイヤーの心境変化もすべて包括して受け止められるってことになるけれど。そんなのあるのかな......。あるいは、ターゲットをある程度割り切る必要が生じているのかもしれない。
※今件は重要な要素が複数含まれている一方、一読した限りでは当方自身もなんだかまとまり切れていない感じが濃厚なんで、後でもう少し整理し直すつもり。どうもごちゃごちゃ感が否めない。でも個々の要素はすっげー重要っぽいんだよねえ。
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