「今電話しました」とメールで確認する不条理
— 黒野 (@kurono42) 2015, 1月 20
ネタ元はこんな感じ。ちょいとひねって五七五にしてタイトルに用いたけれど、意志疎通のために用いたメールを、先ほど受けた電話に関する報告として受け取るのは、やはり理不尽な感は否めない。あるいは「他所に電話しました」という報告メールだったのかもしれないけれど、やはり電話した本人への確認メールであったことは、この後に続くツイートで分かる。
いや、完全否定するわけじゃないんだな。電話は通話記録を残しておかない限り、実会話としてのやり取りでしかないので、やりとりそのものが忘れられてしまうことがある。電話をしたというメールを出すことで、自分と相手双方の記録に残せるし、内容をざっとしたためておけば意志の齟齬も防げる。その意味では有益。でも不条理な感は否めない。
「今メールしたから確認して」って電話の後にポストに回覧板が届く。止まらないほうれんそうの連鎖。
— 黒野 (@kurono42) 2015, 1月 20
@kurono42 「FAX送信しましたのでご確認ください」というメールをマジで送らないといけない状況がありました(
— 松江あきら(まつえ・ー)基本的に役立たず (@MYSTIKNIGHTS) 2015, 1月 20
これは逆のパターン。相手に受け取りタイミングを合わせられるのがFaxや電子メールの長所なのだけれど、その長所を吹き飛ばす形で「相手に直に応対させて時間的に拘束させる」電話を用いてツッコミをし、電子メールの即読みを強要させる。さらにその後に回覧板が届くとなると、どれだけ慎重なのか、あるいは用心深いのか、メディアとはいったいなんなのか、頭を傾げてしまう。まぁ「Faxしたというメール」については、Faxの受信がちゃんと行われたか否かについて、少々心配になってしまうってのは結構あるから仕方ないのかな。
「ヴァルハラで会おう!あ、ついたらLINEして」
— 黒野 (@kurono42) 2015, 1月 20
「手紙出したから」ってLINEを受けてから2年。日に焼け、旅塵にまみれた外套と異国の風をまとった男が我が家の玄関先に立った。「アンタに手紙を預かってきた。吉報だと良いのだが」私は彼に礼を言い、丁重にもてなすと心付けと食料を持たせて送り出した。それから「手紙きたよ」とメールをした。
— 黒野 (@kurono42) 2015, 1月 20
で、まぁ、このメディア間の応答タイミングの差異から、こんな小噺もできてしまう。ある意味ナンセンス、状況次第では実に感傷的になれるシーンだったりもするのだけど。やはりギャップってのを覚えてしまうよね。
例えばこれが最初の「「手紙出したから」ってLINEを受けてから2年」の部分を無くして、2年前の日付での手紙云々って形しておけば、「二人の間の意思疎通は、2年の間に手紙からLINEに変わってしまっていた」って感じで、時を超えたタイムカプセル的なシーンが創り出せると思うんだな。
まぁアレだ。意思疎通のためのメディアにおけるスピード感が増すのに連れて、不安から来る「念のため」の他ルートでの確認ってのは、永遠に無くならないのだろうな。電子メールやチャットなどの利用スタイルに関するアンケートで「すぐに返事が来ないと不安になる」って意見が無くならない限りは......
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