「電話した」メールで届く 不条理さ

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ネタ元はこんな感じ。ちょいとひねって五七五にしてタイトルに用いたけれど、意志疎通のために用いたメールを、先ほど受けた電話に関する報告として受け取るのは、やはり理不尽な感は否めない。あるいは「他所に電話しました」という報告メールだったのかもしれないけれど、やはり電話した本人への確認メールであったことは、この後に続くツイートで分かる。

いや、完全否定するわけじゃないんだな。電話は通話記録を残しておかない限り、実会話としてのやり取りでしかないので、やりとりそのものが忘れられてしまうことがある。電話をしたというメールを出すことで、自分と相手双方の記録に残せるし、内容をざっとしたためておけば意志の齟齬も防げる。その意味では有益。でも不条理な感は否めない。


これは逆のパターン。相手に受け取りタイミングを合わせられるのがFaxや電子メールの長所なのだけれど、その長所を吹き飛ばす形で「相手に直に応対させて時間的に拘束させる」電話を用いてツッコミをし、電子メールの即読みを強要させる。さらにその後に回覧板が届くとなると、どれだけ慎重なのか、あるいは用心深いのか、メディアとはいったいなんなのか、頭を傾げてしまう。まぁ「Faxしたというメール」については、Faxの受信がちゃんと行われたか否かについて、少々心配になってしまうってのは結構あるから仕方ないのかな。


で、まぁ、このメディア間の応答タイミングの差異から、こんな小噺もできてしまう。ある意味ナンセンス、状況次第では実に感傷的になれるシーンだったりもするのだけど。やはりギャップってのを覚えてしまうよね。

例えばこれが最初の「「手紙出したから」ってLINEを受けてから2年」の部分を無くして、2年前の日付での手紙云々って形しておけば、「二人の間の意思疎通は、2年の間に手紙からLINEに変わってしまっていた」って感じで、時を超えたタイムカプセル的なシーンが創り出せると思うんだな。

まぁアレだ。意思疎通のためのメディアにおけるスピード感が増すのに連れて、不安から来る「念のため」の他ルートでの確認ってのは、永遠に無くならないのだろうな。電子メールやチャットなどの利用スタイルに関するアンケートで「すぐに返事が来ないと不安になる」って意見が無くならない限りは......

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このページは、不破雷蔵が2015年1月21日 06:55に書いた記事です。

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