報道ステーションが不愉快さを覚える理由

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「報道ステーション」とは「報道」と名前を冠しているけれど、実態的には報道バラエティであり、報道番組では無い。報道とエンターテインメント・バラエティとの境目を曖昧にすることで、双方の責任や規制を回避し、オールマイティーカード的なものをつかむ様式の番組で、連なる昔の「ニュースステーション」が国内では皮切りとなったもの。この辺の話は直近では【「報道バラエティ」と「ひととなり」と】等でも触れた通り、御嶽山報道で問題視された話であり、昨今の日本のテレビ業界で顕著化している問題の原因の一つではあるのだけれど。

で、その報道バラエティ番組の中でも特にごった煮感が強い「報道ステーション」に、「NEWS23」を超える不愉快さを覚えるという話。その理由として......


中身としては報道で無くバラエティであるところから来る、「はじめに結論ありき」な様式に気が付き、報道要素の事実や専門家の情報をないがしろにしている、「結論」の肉付けとして美味しいどころどりをしているのに気が付いてしまったからというもの。そしてその「結論」が断片的な知識を基に構成されている雰囲気を感じ取れるというのも、不快感に関するプラス要素となる。

「決まっている方向に無理やり誘導される事ほど、専門性を持つ者にとって不愉快な事はない」「それはプロスポーツ選手に八百長をやれ、というのと同じ」。非常に的を射ている。専門家の権威を悪用されたようなもので、それはまさに魂を売り渡す事を強要するもの。「報道ステーション」に登場する専門家や解説者の中には、それを半ば知っていて、あるいは積極的に生業としている人もいるのだろうけれど、多分にまっとうな道を歩んでいる専門家の方々には愉快には見えないに違いない。

今件では「報道ステーション」が対象となった上での話ではある。けれど、このような様式の番組って、他にも少なからずあるような。それが出演者・キャスターの特性によるものなのか、制作会社の方針によるものなのか、あるいは番組側の核心的利益に基づいたものなのかまでは番組によるのだろうけれど。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月24日 08:36に書いた記事です。

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