セルフサーチ(エゴサーチ)と自分に向けられた意見とその反論

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エゴサーチ......個人的には【「エゴサーチ」という言葉の印象が損をしているとの指摘】にもある通りセルフサーチという言葉を使いたいのだけれど......において、自分の悪口を見つけてしまった時に、どのような判断をするかという話。そのまま無視するのも一つの選択肢ではあるし、全てに対応したのではいくら時間があっても足りず、mixi疲れ的なものを覚えてしまう(Facebookにしてもツイッターにしても、検索がし易いからこそ目に留まりやすく、結果として疲れやすいってのはあるんだよね)。意見はしたい、でも反論は許さないってのはちょいと違うのではという話。


これは何度となく当方も指摘している、そして今件で語られている話の通りで、ソーシャルメディアは完全にクローズドな環境に設定しない限り、見た目、操作的には身内話のような感じで使えるけれど、実際には世界に向けて情報を発信しているブログと同じってことに、留意を払わねばならない。自宅内に友達を呼んで馬鹿話をしているのではなく、誰もが入れるレストラン内で大声を上げて語りあっているような感じ。しかもその内容が無線を通じて全世界に配信され、さらに不特定多数の人によって検索されて特定される可能性を有している。

例えば東京駅の立ち食いそばで同輩と語りあった馬鹿話の内容を、たまたま自分の名前で検索をしていた北海道にいる知人がリアルタイムで知ることができるというものだな。なんというワールドワイドな可視化社会。でもこれ、事実。陰口......という表現が適切か否かは分からないけれど。それが通用し得ないのが、インターネットを使ったソーシャルメディアなどにおけるコミュニケーションの実態。

本当に独り言で済ませたいのなら、以前も使った表現だけど、画面に向かってリアルで語ればいいまでの話。ネット上に情報を流した以上、その言葉をむけた対象にだけではなく、不特定多数の人にその情報が流れる可能性を、常に考慮しなきゃならない。

その辺りまで色々と考えると、今件で指摘されている、セルフサーチで生じ得る「陰口的なモノの発見と、それに対する応酬で生じるいざこざ」ってのも、多分に意志疎通手段の普及における過渡期で生じうる問題の一つなんだろうなあ、と思う。

まあ、でもセルフサーチで逐一ツッコミ入れてたらきりがないし、疲れからか、不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう。 後輩をかばいすべての責任を負った三浦に対し、車の主、暴力団員谷岡に言い渡された示談の条件とは...。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月26日 08:01に書いた記事です。

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