このゲーム禁止令の一番駄目なのは「どうすれば学力が向上するのか」よりも「何故学力が低下しているのか」を考えている後ろ向きな考えと学力低下要因としてゲームのし過ぎ「だとおもう」という根拠のない理由を元に「それを断てば学力がたぶん上がる」とオプティミスティックな結論に至ってる点
— nnS クリックモーモン (@nnS_momon) 2015, 1月 26
震災後にビデオゲームが子どもたちの心のケアに役立ったって話は「模範的な大人」の人に話してもほとんど無視されるんだよな。彼らがここぞとばかりに持ち込んだ子どもたちが望んでない遊びやスポーツって結局その場の暇つぶし程度であしらわれたし。
— monaken (@monaken) 2015, 1月 26
父「おい、ノーゲームデーが作られたぞ」
子「ふぅん」
父「お前...ゲームができない日だぞ!」
子「そうみたいね」
父「な、何とも思わないのか?」
子「別に」
父「...」
子「ノー残業デーみたいなものでしょ?」
父「!?」
子「守らない」
父「...」
子「守られない」
父「...」
— むぎ@SE (@MUGI1208) 2015, 1月 27
あたまいいひとはゲームやってても勉強できるしゲームのプレイのしかたもあたまいいからどうしようもないんだよな・・・
— 八重ナギ (@norisio) 2015, 1月 27
これか......北海道教育委員会、毎月第1・第3日曜を「ノーゲームデー」に指定(ねとらぼ) - Yahoo!ニュース http://t.co/Jgh9d9lM39
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
ここ数日、北海道教育委員会が呈したとされる「ノーゲームデー」について、色々と盛り上がりを見せている。またゲームという言葉のみの印象で敵対視しているのかとか、ゲームといっても良いモノもあるしそうでないのもあるし、使い方次第でどうにでもなるものなのに、とか、上のように「ゲームをするから学力低下をするという直接因果関係を立証することなく、責任を押し付けるのはどうよ」とか。
先の記事でも挙げたけど、ゲームで遊ぶと学力が低下するのではなく、ゲームは魅力があるので夢中になって時間超過的な使い方をしてしまうから、それ以外の時間が食われてしまって、結果として学力低下のリスクが生じる。問題があるとしても「ゲームをすること」ではなく「ゲームをしすぎること」にあるのであって、要はスケジュール管理の問題ってことに気が付いてない。オールorナッシング、二分法は考えるのが楽だから手を出してしまいがちだけど、大よそ間違いの結果に誘導されてしまう。ご飯を食べすぎると太りやすいからといって、絶食するのが正しい方法かな? 違うよね。
でも今件は、なんだか話の流れがセンセーショナル過ぎる。ってことで一次ソースを確かめたら......
①北海道教育委員会の「ノーゲームデー」 http://t.co/zw4ifQuqan 。「炎上」の仕方が妙だったので一次ソースを見てみましたが、定義は"各家庭や地域における望ましいネット利用に向けた行動や学校、家庭、地域におけるルールづくりの促進に向け、
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
②大人も子どももゲーム(コンピューターゲーム、携帯式のゲーム、携帯電話やスマートフォンを使ったゲームなど)をしない日を設定""大人も子どももゲームをしないで、電子メディアへの接触時間を見直す取組""ゲームをしないで、「家族の団らん」を大切に「体験活動」や「読書活動」に親しみ"
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
③とあるので、作った側が「子供がPCやスマホに夢中になってる」=「ゲームをしてる」と誤認したか、保護者が誤認しているのでゲームと表記した方が分かりやすいってことで「ノーゲームデー」とした感じですね。あるいは防犯用に携帯電話を持たせている場合があるので
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
④「それもダメってのはまずいのでは」との思惑もあったのか。実質的には「ノーデジタルメディアデー」ですね、これ。さらにテレビや漫画なども無しで、身体を動かして実体験による遊びを楽しもうって考えのようです。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
⑤(「電子メディアへの接触時間を見直そう」という表記もあるので、その部分を見るとケータイやパソコン、ゲーム機から離れようという意図なのですが、本来の主旨から考えるとテレビや漫画からも......ってことになるんですよね)。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
⑤要は(「分かりやすい」ようにとの意図かもしれませんが)ネーミングのミスってところかと(ゲームをむやみやたらに敵対視している人が関係者に居た感じもしますが、それは推測でしかない...)。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
⑥シンプルに「むかしあそびの日」とか「リアルゲームデー」とした方が良かった感はありますが。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
あ、ナンバリング間違ってた......はともかくとして。大体こんな感じ。委員会の方の思惑で一部間違いの部分もあったのだろうけど、むしろそれよりは切り口の点でヘタを打った結果、今回のように外部で色々と騒がれてしまった感は否めない。昔なら「ノーテレビデー」みたいなものになったんだろう。
⑦蛇足ですが、「ノーゲームデー」でバツ印が付けられているイラストが、皮肉にも今の子供達におけるゲームの立ち位置を証明してしまってるんですよね。コミュニケーションツールなんですよ、子供にとってのゲームって。 pic.twitter.com/GVLsCLfl3d
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
⑧ゲームにしてもソーシャルメディアにしても、「使うな」ではなく「正しく使え」とするのが、正しい大人の姿勢じゃないかと思うのは、当方だけなんでしょうかね......。問題視されているのは使い過ぎであって、使う・使わないの話ではないのですから。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
厳密には「正しく使え、その方法を教えるから」なんだけど、これは上にある通り。そして先行する【スマホを学校公認にして使い方を啓蒙すれば学校も生徒もハッピーになれるという実例】の話にもある通り、正しい導き方をすれば、皆がハッピーになれるはず。今やゲームやらスマホやらは、子供達にとってもコミュニケーションツールの一つとして欠かせない存在になっているのだからね。まあ、それを果たすための大人側のリソースが不足しているってのは否めないのだけれど。
①ちょいと補足すると「電子系ゲーム以外のも」との意図で「ノーゲームデー」を設定して「昔の遊び」への誘導をしても、今の子供の周辺環境でそれを繰り返し出来るか否かと考えると、結構難しいカナ~というのもあります。少なからずは「危険だから」と大人から禁止されてますし。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
②今の大人が「面白かった遊び」が、そのまま今の子供でも「面白い遊び」と認識するかどうか。感性、環境の違いってのもありますし、ね。個人的にはむしろ、例えば オモシロ真面目な「貿易ゲーム」って何だろう http://t.co/rAjy4L5Lc6 で紹介した
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
③「貿易ゲーム」を体感させてみるのも一つの手だと思うんですけどね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 1月 27
@Fuwarin 刈谷の午後9時までとやりたいことは近かったったのかもしれませんが、ネーミングの大失敗や目的と手段の逆転の指摘、更にはこれまで子どもたちから環境を奪ってきただけの様々な安全活動と同一視されてしまった感がありますね。
— たかぴー@ひだまり/DQ10推し (@loveeearth) 2015, 1月 27
指摘の通り、目の付け所としては悪くないのだけど、色々とかじ取りを誤ってヘタ打った感は強い。元々今回の「ノーゲームデー」で展開される数々の遊びって、昔はごく普通の遊びの一つではあったのだけど、その多くは今や特定の準備環境下でないと出来なかったり、大人がやっちゃいけないと禁止してしまったり、場所そのものが無くなってしまったものだからねえ。ヘタすると公園でボール遊びも出来ない時代。
@Fuwarin 昔の遊びと言われても、ファミコンは30年以上前の品なので「親世代が昔の遊びを知らない可能性」が高いと思ったり
— wacky(ひえすぎ) (@wacky141) 2015, 1月 27
......そういやそうだ。となると、今件のような外遊びを「遊び」と定義してプッシュしたのは誰なんだろう。ちなみにファミコンは1983年に発売開始、2003年9月には本体の正規版製造は終了している。まぁ1990年台に遊び始めた人も多いだろうし、「昔の遊びを親が知らない」ってのは少々言い過ぎかもしれないけれど。
コメントする