ドラマやアニメは自粛、報道はバリバリ、なんでだろう

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該当事象は現在も進行中なので、それ自身における言及は避けるとして。その事象に関する報道姿勢を見ていると、確かに指摘の通り、大きな違和感を覚えさせるところがある。以前バラエティ部門と報道部門のリソースがクロスして、報道部門がバラエティ化し、しかも報道部門の特権を濫用している状況にあるとの指摘はしたのだけれど、その弊害が出ている感は否めない。スポンサー云々の問題ではなさそうだし(どのみち番組にはスポンサーがついている)。

要は「報道(の自由)という名の無敵アイテムを振りかざしているから、何やっても突っ込まれないのでやりたい放題」ということなのだろうか。放送されることには違いないのに。

特定のドラマやアニメの場合は、それ自身を見たいのであり、事件に連想するような話を見たいのではないのだから、視聴者側の意図の度合いが違うから?? 報道だって同じような気がする。ニュース番組とて、特番以外はその事案「のみ」を伝えているわけじゃないからね。その事案そのものを見たいと思っている人以外でもニュースや報道番組に目を向ける人はたくさんいる。


先行する記事、【ツイッターの新機能グループダイレクトメッセージは新たな「疲れ」を誘発するかも】の件とも共通する部分があるのだけど、「お客が望んでいるから」という大義名分が使えれば何をやっても構わない、本当に利用側が望んでいるもの、提供すべきものなどはお構いなしにとにかく売り上げがあがればオッケー的な感が強い。それはそれで一つの手ではあるのだけど、その上でダブル・スタンダードを同一メディア......というか企業体内でやっているからタチが悪い。

やはり相応のペナルティが成されていないので、報道部局が「自由」ではなく「自由奔放」になっているんだろうなあ、という雰囲気はある。しかも当事者は、それを相変わらず「自由」として拡大解釈しながら。先日の報道ステーションが良い例だよね。この類のって、一度堰が切れると後は早いんだけどな。それに気が付いている関係者はどれだけいるんだろうか。

自由は必要だけど、責任や義務が伴う。自由と自由奔放は別のもの。報道に限った話ではないのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年1月29日 08:47に書いた記事です。

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