上昌広氏のことは存じ上げないが「皆さんも信頼する女性の部下が画期的なデータをもって来たら、どの程度、批判的に吟味できるだろうか。私には自信がない。」と公の場で書いてしまうような人は早急に研究の場を去ることを考えるべきだと率直に思う。
http://t.co/UfEniXv9oD
— Hal Tasaki (@Hal_Tasaki) 2014, 12月 30
STAP騒動から何を学ぶべきか | 上昌広
「皆さんも信頼する女性の部下が画期的なデータをもって来たら、どの程度、批判的に吟味できるだろうか。私には自信がない」
http://t.co/Y2WEDqZH3i
あきれた.今後一切科学不正について語る資格ないよ上先生.
— EARL@年末年始は京都どすえ (@DrMagicianEARL) 2014, 12月 31
承前)今さら女性の活躍が云々などどれだけ周回遅れのこと言ってんのか・・・.科学の世界の議論に研究者の性別を持ってくるな.部下の女性が画期的データ持ってきたら批判的吟味できないとかいい歳して女に耐性なさすぎにもほどがある.
— EARL@年末年始は京都どすえ (@DrMagicianEARL) 2014, 12月 31
「信頼する女性の部下」っての、その女性のどの要素を信頼して信頼したんですかね?って感。
— 紗汐 冴 (@shiosae) 2014, 12月 31
STAP細胞に関しては、その機能面で当方もちょっぴりと自身の件で期待をしていたこともあり、実態が判明した時の裏切られ感は並大抵のものではなかった。で、その当事者があんな状況であることから「色々な人がいるんだなあ」との感想を改めていだいている。
で、同時に今件は、各界の反応を見るに、多分に試金石的なものになっているような雰囲気も覚えている。今件がその一つ。「STAP騒動から何を学ぶべきか」と語っておられる当事者が、学ぶべきことが多いのではないのですか? と面と向かって語りかけたい感のある内容ではある。
そして最後の2段落で突然斜め上な話を展開する辺りは、新聞記事の社説の切り口と似ていて、色々と複雑な気分に。
そして「記事掲載誌のではなく」Wikipeidで執筆者のプロフを確認すると http://t.co/2kQMgvUXi6 (上昌広) 色々ともにょるったりする。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 12月 31
(該当業界全体を揺るがす事案であること、関連・周辺における「あぶり出し」になっているという点では、朝日新聞による「二つの吉田」ねつ造問題と構造が非常に似ているのよね。今件STAP細胞問題)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2014, 12月 31
該当の記事を執筆された上昌広氏は複数の投稿をされているようで、プロフィールページも用意されている。ただその類のページは自身が用意したテキストを挙げているだけの場合が多いので、Wikipediaやそこが引用しているソースを確認すると、まぁ、何となく納得させられる内容ではある。しかるべくして構築された記事なのね、と。
今件記事も合わせ、周囲の対応ぶりってのは、朝日新聞の「二つの吉田」ねつ造問題(ああ、こちらもねつ造だったか)と同じように、リトマス試験紙的なものがあるよなあ、と認識させられる。
......そもそも論として。文中で「皆さんも信頼する女性の部下が画期的なデータをもって来たら、どの程度、批判的に吟味できるだろうか。私には自信がない」としておきながら、「ボストン時代の小保方氏を知る女性研究者から、色んな話を聞いていたからだ」として、その女性の話をつらつらと、事実として書き連ねているあたり、「その女性の語った内容について、吟味はしましたか?」と突っ込まれたらアウトになる感があるのだけれど。
考え直すと、女性をもっと登用すべきだと語っておきながら、多分に女性蔑視をしている内容のようにも読めるのだけどねえ。性別など関係なく、能力で判断すべきであるはずなのに。
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