殺された川崎の少年はLINEで呼び出されていたと聞き、「連絡手段が固定電話しかなかった頃は"親"という障壁が様々な抑止力となり子供を守っていた。子供同士で気軽に連絡を取り合えるのは害悪でしかない」と思っちゃったんで、いよいよ私も老人側の人間になりつつあるな、って自覚した。
— 深爪 (@fukazume_taro) 2015, 2月 26
>RT 親の抑止力というより、「他人の目」「世間体」みたいな圧力って大事だなって思う。1人暮らしになるとだらけがちなのと同じで、人間には水圧が必要で、水圧が無いとぶよぶよに膨張してしまうケースが少なからずあるのかなと。自分などは親と同居してるので疎ましさと同時にそんな面も感じる。
— 湖西晶@お仕事募集中です (@akikonishi) 2015, 2月 27
今回の事件そのものに関するあれこれはさておくとして。呼び出しなどの意思伝達手段にLINEが使われていたという話に関して。指摘の通りLINE......というよりは携帯電話のあるなしで、親が介在できるかいなかってのは随分と違ってくる。LINEってのは単に他の携帯電話関連のツールよりも浸透度が高く、連絡がし易いだけだったという話であり、LINEそのものに非は無い。問題なのはそのようなリスクも生じ得るツールを、問題となり得る年齢に使わせても良いのかという話。
例えば包丁とかガスコンロみたいなものかな。使う時の注意事項やリスクをしっかりと教え、さらにそれでも発生しうるトラブルに対処できるよう、大人のチェックが欠かせないような、それほどまでに便利で、そしてリスキーなもの。あるいはバイクや自動車みたいな感じかなあ、今の子供に対するLINE、に限らずスマホ周りの利用は。
大人の監視が無いとだらけてしまう、際限が無くなるってのは誰もが理解できる。仮に今件事案が固定電話のみの時代だったら、連絡ツールとして固定電話は使われたとしても、大人が気が付くのは容易。ならば直接対面で呼出しでとなるけれど、それも目撃者が山ほど出ることになる。
世の中は次々に便利さを求めて道具やサービスが登場する。ただ、その便利さを優先して、発生しうるリスクについて、保護しなければならない対象が用いる事例は、利用の是非も含めて大人が十分に考察し、判断しなきゃならない。同じような事案が成人間で発生してもLINEの利用が云々ってのは語られることは無い。自責による行動が原則だから。ところが未成年者の場合は多分にその未成熟さから、保護者の監視下に置かれ、育まれ、指導されるのが前提となっている。そのような状況で、監視から逃れ得るツールの提供は、それが便利で多用されているからはいえ、提供してもよいものだろうか。
色々と考えさせられる話ではある。
コメントする