70年代までテレビで言ってることは絶対だった
80年代まで新聞に書いてあることは絶対だった
90年代までネットの情報は絶対だった
00年代まで論文は絶対だった
今は自分自身で考え、確かめないといけない
— nomad:野間大門 (@nomaddaemon) 2015, 2月 2
今もまだあるか否かは確認していないけれど、かつて当方が通った学校の学生街にあった古本屋のうち一件に「テレビは罪悪、見てはならぬ」的な貼り紙があった。当時は単に「テレビを観ずに本を読もう」的な意味合いかと思っていたのだけれど、今から思い返してみると色々な意味が込められていたのかな、とも感じたりする。
今件指摘の話は時系列とか、順番を考えると「これとこれは入れ替えた方が」「もうちょっと後では?」という感はあるのだけれど、時代の流れ、技術の進歩と共に、これまで信奉してきた、絶対視されていたものが、実は薄っぺらい書き割り的なものでしかなった部分が結構あったよね、と思い返される。もちろん同時に、価値の再確認ができることも少なくない。技術の進歩は「ラーの鏡」を民に与えたもうた、みたいな。いや、真実ではなく、素の姿、というべきか。
挙げられている情報伝達媒体はすべてがすべて、より便利に、より分かりやすく、より多くの人に情報を伝えるためのもの。にも関わらず、振り回されずに歩いていくためには、結局より一層の手間をかけて精査しなければならない。便利で楽な生活を送るために技術が進歩しているはずなのに、人々の生活はより忙しくなり、不便な面が増えてくる。何だかどこか矛盾しているような気がするな。
まあ今件に限れば、媒体がどのようなものであっても、結局送り出す情報を作るのは人自身(自動生成されたテキストならともかく......)。つまりは送り手側の信頼性が欠けてきているということなのかな。あるいは元々欠けていて、それが暴露されやすくなっただけなのかもしれないけれども。
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