「日本人がテロに巻き込まれる時代が来た」「ISIL人質殺害事件は日本を変える」っていう評論を散見するのだけれども、お前らこの15年間、世界のことを何も見てなかったのかと罵倒したい。日本はどう遅くみても2001年の同時多発テロの時には既に「テロに巻き込まれる時代」を迎えていた。
— fj197099 (@fj197099) 2015, 2月 3
一連の中東での事案に関するあれこれの中で。どうも映像そのものに対する再検証も始まっていて、情報戦・心理戦の側面(意図的、あるいは結果論として)が出てきた雰囲気もあるのだけれど。日本国内の意識の高い方々のお話の中に、上記で指摘されているような意見がある。直近では2013年のアルジェリアにおける日揮の人質事件をはじめ、数々の事件が起きているけれど、それらはコンテンツとして消費され消化され、意識の高い人たちの脳裏には刻み込まれないのだろうなあという感は否めない。もう10年以上も前になるけれど、世界史の上で大きな事象として後々まで語られるであろう、「9.11.」の話はどこにいったことやらって感じだ。
イスラムを騙る殺人集団に日本人が拘束されたのもイラクを中心にこれまで何度もあったし被害者が実際に斬首された例もあった。そのビデオも公開された。今回の事件にははっきり言ってどこにも新規性がない。こんな事件で日本が「変わる」はずがない。とっくに「変わって」いて全くおかしくないからだ。
— fj197099 (@fj197099) 2015, 2月 3
今日の日本人はもしかして2001年の米同時多発テロの時に日本人が何人殺されたか覚えていないのではないか。一応書いておくが24人である。日常を送っていたなんら罪も過失もない人々がこれだけ殺された。そのインパクトは自らシリアに立ち入って2人が殺された今回の事件とは比べ物になるまい。
— fj197099 (@fj197099) 2015, 2月 3
罪のない(しかし退避勧告地域に立ち入るという過失はあった)二人が無残に斬首された今回の事件、インパクトがないとは言わない。だがその程度の話で驚くようなら世界の現実がまるで分っていないと言うことだ。既に15年前に日本はテロで二けたの死者を出している。今回の事件は大した事件ではない。
— fj197099 (@fj197099) 2015, 2月 3
多くの人は明確なところまではともかく、そのような話があったというのは多かれ少なかれ記憶の断片にはあるけれど、意識の高い人たちはあえてそれを無視する形で語ることから、その記憶は掘り返されず、新たなものとして刷り込まれてしまう。今件を大きく騒ぎ立てているのは「今の体制を叩くのに使えそうな素材だったから」「対象人物の一人がジャーナリストの肩書を有していたから」位では無いのかな(後者に関してはその肩書の元に行動していたか否かという問題もある)。ゼロではない以上意識する必要はあるけれど、必要以上な喧伝のされ方はかえって疑問視されても仕方がない。「大した」という表現はいささか眉をひそめざるを得ないけれど。
「安倍総理がキッカケで日本人が標的になった」「ジャーナリストが危険に晒された」という話を見かけたので、近年で「日本人がイスラム系武装組織の犠牲になった事件」と「中東でジャーナリストが犠牲になった事件」を簡単な表にしました。ご参考まで。 pic.twitter.com/PX31ZFwG99
— たられば (@tarareba722) 2015, 2月 3
日揮の件が入っていて「9.11.」の事案が入っていないとかあるけれど、具体例の一つとして。取りこぼしもいくつかある気はするし、解釈次第で差し引きはあると思う。でも、「統計とは残酷さを打ち消す残酷さを持っている」とはまさにこのことでは無いかな。
某映画の後藤隊長の弁が思い出されるのは当方だけだろうか。
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