記憶がかなり曖昧ですが、確か小学6年生の頃だと思います。
購読していたマンガ月刊誌に、子供向けの「マンガ教室」的な企画の記事があって、そこにこんな事が書かれていました。
「セリフだけを読んだだけで、何が描かれているのか分かってしまうマンガはダメ」
— かとうひろし (@mangakato) 2015, 2月 1
子供ながらに「(・Д・)... な、なるほどな?!」と納得して以来、刷り込まれています。
自分の中では、マンガを描く時の「要注意基準」の鉄則の一つになっています。
— かとうひろし (@mangakato) 2015, 2月 1
漫画の好き嫌いに関する要素は人それぞれで、中には例えばストーリーも無茶苦茶だし描写も下手だけれど、絵柄が好きだからこの漫画が好きって人もいるかもしれない。でも多くの人の場合は、要素要素を好きになるという明確な意識は無く、セリフ回しや効果音などの描写、そして絵が一体化して初めて「いいな、これ」という印象を抱き、その作品に好感触を持つことになる。
絵だけが良くても漫画には成り得ないし、セリフだけですべてが完結してしまうのも「ダメ」というのは言い過ぎかもしれないけれど、あまり良いものとは言い難い。テレビ番組で映像を切り、音声だけで分かってしまうような作品は、そもそもテレビにする必要が無くなってしまう、そんな感じ。逆もまた真なり(まぁ、無声映画的な演出も一つの手ではあるのだけれど)。
今サイトで定期的に購入したのを報告している4コマ漫画誌でも、実の所その辺りは結構意識して見ていたりする。関連方面の仕事をもらっているわけではないけれど、ついチェックしてしまうんだよね。細かい描写とかセリフ回しとか演出とか、各キャラの動きとか。「この人は止め絵、イラストは上手いかもしれないけれど『漫画』には向いてない」「紙芝居みたいだな、これ」といった感じでチェックが入るし、だからこそ絵とセリフが一体化して頭の中で登場人物が活き活きと動く形で再生できるような作品に出合えると、非常に嬉しくなる。映画のようなカメラワークの使い方なども気になってくるけれど、それはまあ、今回の話には関係が無いので、別の機会に。
この「絵とセリフの組合せで作品が初めて完成する」ってのは、漫画に限った話ではなく、グラフや絵付きの記事でもいえること。見た目はペラ一枚の図版かもしれないけれど、それにたどり着くまでに試行錯誤のデータ抽出やら何回もの描きなおし、さらには経年によるデータの修正とかがあって、初めて完成する、記事本文と一体化した創作物。単独では無く、掲載されている記事と合わせて初めて意味を成す一品。
だからこそ、そのグラフなどをまとめサイトなりネイバーまとめがベッと貼りつけてドヤ顔で広めてしまい、検索評価の上でもそちらが上になり、不特定多数の人がそちらでチェックしてしまうのを見ると、ねぇ......もう、という感じになる。多分に誤解釈や意図的な曲解のソースとして使われてしまうから、さらにタチが悪いのよね。
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