新聞の読者コーナーで気が付いた、その読者は第三者である必要は無いんだ

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朝日新聞のが特に有名だけれど、新聞は多かれ少なかれ読者のコーナーや社説、さらには有識者の寄稿などの点で、個々の新聞社の「核心的利益」に基づいた話が展開される。編集部自身の意見では無くそれぞれ、第三者の意見として、「戯言みたいなものだから」、有識者の語る内容なのでという大義名分としての責任回避を果たしつつ、主張したい内容が語られることになる。しかも社説は責任がぼかされ、それ以外は自分達の言では無いのだから、「世間一般でもこうなんだよ」的に、群衆心理にゆさぶりをかける。

元々新聞は報道機関であるのと同時に言論機関でもあるのだから(新聞協会などの規約もあるんだけどね、罰則規定は無いので有言無実)、どのような偽装をしたところで主張ができればそれでよい、ということなのかもしれない。だからこそ、新聞の中身に関する信頼性が漸減しているのだろうけど。

読者コーナーの意見の部分は、特にその偽装的な話が多い。その新聞の読者である以上、新聞が持つ特性にある程度共感を持ち、その上で意見を出すほどのシンパシーを覚えている。さらに取捨選択をするのは編集部側なので、どのような内容を採用しようと思うがまま。結果としてあくまでも「寄せられた意見の一部」が全体的な意見の代表と錯誤されてしまう。このあたりは【現場第一主義、「現場の意見が」を声高に挙げ、傾倒しすぎる事の危険さ】でも触れた、特定少数サンプルのみで全体像を想像させようとすることの危険さにつながる。

加えるなら、「読者」も読み手側の多くが想像しているであろう、一般的な第三者の読者とは限らない。記者創作の非実在読者かもしれないし、ぶっちゃけその新聞の記者自身でも構わない。記者とて読者には違いないからだ。「読者の声」とあるけれど、そのコーナーの説明で何部送られてきた意見のうち、とか、寄せられた読者からの意見であるとか、関係者のものは除くといった説明書き、見たことあるかな......と思い返せば、納得のいく部分はあるかもしれないね。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月 9日 07:56に書いた記事です。

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