昔と今の「戦場」の違い、これもまたネットの普及が一因なのかも

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昨今の中東事案のあれこれでいくつも疑問に思うところがあり、その一つがこの指摘でちょいと霧が晴れて来たかなという感じがするので、覚え書きも兼ねて。以前も指摘したけれど、ISIL(ダーイッシュ)という組織の異常性もさることながら、海外に居住なされているジャーナリストの方々や、戦場で働いておられることを自負しているジャーナリストの一部において、関係者が何をやっても逆切れして反発する雰囲気がある。要は自由に何でもやらせろ、何かあったら何でも責任を取れ、それが俺達に与えられた永久不滅な権限だ、みたいな。それが許されなけば自由は滅びる、的な。まるで何かあるたびに「民主主義は死んだ」とお葬式を挙げる一部知識人と同じ......って結構層がかぶっているのはアレだけど。

で、覚えていた違和感の一つだったのはまさにこれ。反発している方々の掲げている状況や自称する権利って、結局前世紀における(戦場)ジャーナリストのそれなんだよね。戦地、現場の情報取得はその人たち経由でないとほぼ取得は不可能。唯一無比な存在。それを誰もかれも分かっているから、当事者も強引な手出しは出来なかった。

でも今は違う。ドンパチやってれば各勢派がウェブサイトを創り、Facebookページを持ち、YouTubeアカウントを取得して実況中継やらプロパガンダ映像を流し、ツイッターで広報活動を行う。誰もかれも世界に浸透させる手段を得てしまった以上、客観報道の価値は下がってしまった。少なくとも当事者にとって。だからこそ、そのツールを使って自らに都合の悪い情報を流し得るジャーナリストは敵でしかない。この辺りのロジックを、一部ジャーナリストの方々は政府やら権威勢派に対して向けているけれど、実は現地の当事者にこそ向けねばならない......けれど、向けた所で相手にされないのがオチなので、振り上げたこぶしを政府などに向けている感がある。

要は、「昔の感覚のまま、今の状況を語ろうとしている」こと、そしてこぶしを振り上げる相手が違うんじゃない? という...で違和感を覚えていたことになる。

また同時に、先日「現場の力、意識に与える影響力は強すぎるので、それに取り込まれてしまう。対象に肩入れしすぎてしまう」とした件も、納得がいくようになる。片方の勢力に頼っての取材となれば、結果的にヨイショ記事を書くしかない。それを繰り返していれば、元々強い影響力を持つ現場での話であるだけに、よほど精神力の強い者でないと、容易に飲み込まれてしまうことになる。

結局、インターネットの普及で情報発信能力を誰もが持つようになったことで生じた、パワーバランスの変化によってもたらされた、多方面での状況の変化に、追いついていないってのが主要因なんだろうな、昨今のジャーナリストの方々のご意見が、浮世離れしているように見えるのも。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年2月10日 08:00に書いた記事です。

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