息子の友達くん(隣のクラス)が女子グループの無視や虐めを解決したらしく、どうやったのかたずねると「いじめられたり1人になってる子に一緒に遊ぼう、て誘うやん、また別の子虐められるやん、また誘うやん、それ順番にすんねん。最後ボスだけになんねん。しばらくして、ボスも誘うねん」
— あなぐま亭 昼あなぐま(おぬま) (@anagumanuma) 2015, 2月 9
息子の友達くん曰く「あんなー、ザリガニとかハムスターとか育てんのと一緒でなー、弱い個体は早くのけてあげんねん。んで、別のグループできたりちょっと大きくなったときにボス入れるねん」とのこと。...友達くんの洞察力すごいわ。
— あなぐま亭 昼あなぐま(おぬま) (@anagumanuma) 2015, 2月 9
全ての事例で通用するわけでは無く、多分に環境によって左右される部分はあると思うのだけど、スマートで理詰めな感が強い、いじめの解消法。いじめをする側はその中心人物が単独、あるいはごく少数の集団で、それに煽動される形で不特定多数がグループを成して、少数特定対象を攻撃することになる。攻撃そのものが目的であり、対象への攻撃が目的では無いことが多いので、ある対象がいじめられない状況になれば、ターゲットが次の対象に移るだけ。つまりは中心人物以外はすべていじめの対象となる可能性がある。だからこそ不特定多数の人たちは「いじめに加わっていないと、今度は自分がいじめられるかもしれない」という恐怖を抱き、賛同してしまう。
今件はそれを逆手に利用したもの。集団は有限人数なので、いじめられた対象を退避させる(今件の場合は「一緒に遊ぼう」と誘い、新しい別グループに加入させる)、新たないじめの対象を選択させるを繰り返していくうちに、退避させた人達で創られた新しいグループと、いじめの中心人物といじめられる対象から成る旧来グループとの間の人数バランスが逆転する。いじめられる側は少数派、孤立が恐怖の要素であり、他に仲間がいれば、むしろ自分らが多数派ならば、すでに怖くもなんともない。新しいグループにはいじめる・いじめられるといった上下間の力関係も無い。
さらにことが進めば、いじめの中心人物だけを残して、あとは皆が皆、いじめられた人たちで作られた新グループになるだろう。その上でいじめの中心人物を新グループに入れれば、そこでは元いじめの中心人物は新参者的な立場になり、再びいじめを行うことは難しくなる。
この構造をハムスターやざりがにの飼育の中で学んだという。恐るべき、小動物の飼育。そしてこの子の観察力。
@awahamusic 小4で女子の無視とか虐めとか出始めてて、このネタを息子からきいたとき、ほんまやるなあと思いました。ちなみに友達くんはザリガニとか虫とかハムスターとかの飼育好き。
— あなぐま亭 昼あなぐま(おぬま) (@anagumanuma) 2015, 2月 9
息子友達くんの話をいっぱいRTしていただいてて、びっくり。このやり方で学校生活で悲しい気持ちになってる子が減って、なんやかんやで楽しくやってくれる子が増えるとええなあ。
— あなぐま亭 昼あなぐま(おぬま) (@anagumanuma) 2015, 2月 9
ちなみに息子の友達くんは全くリーダータイプではなく、超マイペースで良い意味で斜め上の発想をする優しい子です。今年も息子へ年賀状をくれたのですが「????市 息子くんへ」(珍しい名字だから絶対届くと思ったとのこと)のみの住所で送ってくれました...郵便屋さん、すみませんorz
— あなぐま亭 昼あなぐま(おぬま) (@anagumanuma) 2015, 2月 9
発送当事者はリーダーシップをフルに発揮するカリスマ的存在というよりは、研究肌的な要素を多分に持つ人物のようだ。何にせよ、あらゆる物事には学ぶ要素があり、重要なのはその要素を適切に把握して活かせる柔軟性、発想力ということなのかな。
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