一部の方が語る「ジャーナリストの使命」は前世紀の遺物

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 私たちは新聞・TVなどの既存メディアは一方的に情報を垂れ流すだけのメディアであることに気づいてしまいました。マスメディアからの情報は受信するのみ許され、私たちが反論を発信する手段はありませんでした。一方、ネットでは私たち自身が情報発信が可能である、参加者になれます。この決定的な媒体としての特性の違いをマスメディアや既存ジャーナリストは理解していません。彼らはもはや情報発信を独占する「特権階級」ではないのです。


田原氏のいう、危険な場所でもジャーナリストが情報発信をする「使命」ですが、そのような使命がかつてあったことは敬意をこめて認めるものの、現時点そして将来その「ジャーナリストの使命」なるものは、変質を余儀なくされることでしょう。現地からの情報発信者がジャーナリストである必然性が失われつつあるからです。その意味で、「ジャーナリストの使命」という考え方そのものが、前時代の残滓(ざんし)なのだと感じています。


先日【「旅券をはく奪された」ジャーナリストを「報道の自由」を掲げて擁護する、それっていいのかな】【想いの通りにならないと地べたにへばりついて駄々をこねる子供のような...「批判自粛が広がっている」とジャーナリストや知識人が会見】で触れた、旧来型のスタイルに固執する一部報道勢や知識人における行動性向や言及が、どうも首を傾げるような、現在の情勢にマッチしていないような感を覚えさせた件で、ある程度納得が出来そうな解説をした話があって同意できる部分も多々あったので、覚え書きも兼ねて。

結局、悪い意味での既得権の固持、よく使われる「(悪い)利権」への執着を正当化する際に、文化だの社会的意義だのを振りかざしているというあたりが正解なのだろう。あるいは、昔はオンリーワン(たった一つ)だったのが、今ではワンオブゼン(たくさんの中の一つ)になってしまったのに、今なおオンリーワンを主張し続け、他の「(正当な)たくさん」を糾弾する。その「たくさん」が悪質な、倫理に沿っていない、不当なものならいくらでも主張してかまわないのだけれど。

結局一部のジャーナリスト、報道の方々は「日本人」「ジャーナリスト」という無敵のカードを持っていると自負して、それを特権のように考えていて、その効力が少しでも失われると思うようなことに関しては鼻血が出るほど逆切れするという理解で正解なのかな。錯誤による悪しき利権と同じ。

先日某所でコメントした言い回し。結局その辺りに、数々の行動に疑問符を呈せざるを得ないのだよね。結局、環境の変化の中で、悪しきモノには声を挙げてツッコミを入れるのと共に、正当なものによる世の中の変化に対しては、どのような対応を示すか、進化をしていくのかが大切なんだよね。

後で当方もじっくりと読み直すけれど、一度は目を通しておくことをお薦めするよ。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月12日 07:15に書いた記事です。

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