ソーシャルゲームの「おくりびと」な話

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先日【オンラインゲームのアーカイブって難しいよね、そういえば】で触れた、オンラインゲームやソーシャルゲームの寿命やその後とも係わるお話がたまたま偶然に目に留まったので覚え書きも兼ねて。この「引き継ぎ請負サービス」的なものは特にオンライン系、ソーシャル系に限った話では無く、ゲーム界隈でもプロジェクトが色々なトラブルを抱えて吹き飛びかけたりした時にバトンを受けるような人達がいたりする。火消人みたいな感じかな。地雷処理班とか。

極論として売り切りのソフトならプロジェクトそのものを打ち切りにすればいいのだけれど(無論あちこちに迷惑はかかる)、現在進行中で少なからぬプレイヤーがいるソーシャルゲームなどで運営が行き詰まったとしても、いきなり「行き詰ったので突然ですが今日でオシマイです」なんてことは出来ない。サービスを提供している大本から契約で「立ち上げたら最低でも●か月間は続けること」という縛りがあるし、突然終わりなんていう仕切り方をしたら会社の信頼はストップ安状態となる。そこまでいかなくとも人気下降は明らかで、今後盛り返す機運も無ければ経営的に継続するより、別のものを新規立ち上げした方が良いとの判断が下されることも多い。

で、そのような「お前はすでに死んでいる」状態なソーシャルゲームの運用を本来のスタッフに代わって行い、緩慢な死を迎えさせる人たちがいて、その人たちのことを「おくりびと」と自称していたという話。

もっとも「おくりびと」って結局すでに亡くなった人の魂を安寧のもとに「あちらの世界」に送るのと共に、周囲の人にその事実を認めさせるための儀式を行う人のことを指すので、かの人たちにバトンタッチをされたソーシャルゲームは、その時点ですでに亡くなっている事を意味することになる(すげーぶっちゃけた)。まぁ成長が望めず、打ち切り・終了が確定したのなら、事実上死んでいるのと同じで、否定はできないだろうし、仮にその情報がオープンになれば多くのプレイヤーは去ってしまうのだろうけど。


「おくりびと」的な立場の職があれば、当然産婆的な人もいるし、育児をする人(保護者か、保育士か)もいる。自分と同じラインで、しかも手掛けている対象の先行きにあるものに携わる人の姿を見て、改めて自分自身の立ち位置を、大切さを自認する。生き物の定義は多種多様だけれど、世の中に創生され、育まれ、そしておくりびとによってその終末を自他ともに認識されるという点では、ゲームもまた、生き物に違いないのだろう。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月21日 08:40に書いた記事です。

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