技術にお金を出さなくなり、エセ技術にお金を出す......みたいな?

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一見するとまったく別物に見えるお話だけれど、よく考えると根にある部分は同じなのかな、という二つのお話。まずはこちら。本質的には【自分の目の前にあるものがすべてではないことを知る】で語っていたことと同じで、いわゆる「原価至上主義」的なものへの警鐘、物理的に形に見えるもののみに評価を与えることに「それ、違うのでは」という話。レスポンスを見ると「特定少数事例だけの話だからミスリードだ」とか「人件費と技術料との違いは云々」、さらには「本当に必要なものなら消えることはないので、評価されなかったりコストが払われずに消えるのなら、技術者や技術の方が悪い」ってあるけれど、この辺りの話、やりとりを見ていると、モノが作られる行程、開発されるまでのプロセス、提供されるまでに携わる人たちのや投入されるリソースなどについて、理解していない、情報不足という感は否めない。

でも変なんだよね。あれだけ製作過程にある人達の労苦が指摘され、ブラック企業ブラック企業言われているのに。まさに悪しきデフレ感覚。


一方でこんな話もある。これはあくまでも一例だけれど、当方の目の留まる範囲でも複数事例で「コンサル」を名乗る人たちによる、ツッコミ所満載なコンサルもどき的な語りでのビジネスがなされているのが目に留まる(某所コメント欄とか)。よほどツッコミ入れましょうか的な想いもあったのだれど、大人なのでちょいとセーブした。

コンサルも物理的な造形を提供するわけではなく、知識や情報やこれまでの経験から得た含蓄を、必要な相手に提供し、よりよい道しるべを示したり、選択の際に望ましい検証ができるようにするという「技術」に対価を求めるもの。それだけに、「どのみち形としては見えないんだから、いい加減なことをそれらしく語って形づけ、あとは権威で味付けすればいいやぁ」的な事が繰り返されると、コンサルという手法そのものだけでなく、技術、さらには形に見えないもの全般への信頼性が損なわれてしまう。

形あるもの、無いもの、いずれにしても、良いものは良い、ダメなものはダメとしっかりと理由をつけて意思表示し、周知していかないと、必要なもの、欠かせないものが失われ、まがいものが幅を利かす時代になってしまうのかもなあ、と思ったりもする。

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このページは、不破雷蔵が2015年2月26日 06:41に書いた記事です。

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