いまだにパソコン=最新鋭という考え方自体がおかしいでしょう。世の中に普及して何年経ってると。RT @Astrogirl_h 便利なものに依存するほど人はバカになるのよ。最新鋭のものなんて結局あてにならない。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 2月 24
だいいち、パソコンはソフトを「使いこなして」ナンボのもの。その習得ができなければ便利でもなんでもない。積極的に自分から「便利に使えるようにする」ものです。RT @Astrogirl_h 便利なものに依存するほど人はバカになるのよ。最新鋭のものなんて結局あてにならない。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 2月 24
いまだにいるんですね、こういうひと。
そりゃ諸外国に比して十代がパソコン持ってないわけだわ。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 2月 24
こういう非論理的なことを言う方に「高校地学の普及を願う」とか言ってほしくないですね。RT @Astrogirl_h 便利なものに依存するほど人はバカになるのよ。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 2月 24
昨年ちょいと話題に登った、若年層のパソコン・キーボード離れ。新学期、就職に絡めたアレコレの話が活発化してきたこともあり、また再燃してきた......というか具体化してきた感がある。手元の各種データでもパソコンの利用機会が若年層で減っていることは明らかにデータとして出ているし、検証は来週以降になるけれど国際比較としてもその様相が確認できる調査結果も見出すことが出来た。「一部だけでは」との意見もあるけれど、複数の教育関係者や企業の新人指導的な立ち位置の人から同様の意見を見聞きするに及び、特定少数の話では無い気はする。
@GoITO うちの親が、パソコン使えない事務員応募者をガンガン落とす俺を見て、
「パソコン使えん事務員はゴミだとでも言うつもりか!」
というようなキレられかたをしたが、「うん、給料泥棒」と即答した。
それを思い出したw いまどきPCなんて使えん奴のほうが悪い。
— Hirokey Ave (@ABC1970) 2015, 2月 24
わたしの見聞の範囲なので狭い話だけど、じっさい、障害者の就労支援NPOでもワードとエクセルの使いかたは教えてるって話だもんね。ってこれ十年前に聞いた話か。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 2月 24
@GoITO パソコンって昭和時代はともかく、今時は文房具の一種と解しています。特に仕事関係は。文房具に流行はあっても最新鋭もヘチマもありませんので‥・・
— Nanbu (@8j11cb) 2015, 2月 24
@GoITO うん、読み書きパソコンの時代になってもう20年ぐらい経ってるので、そろばん使えない奴に番頭やれって言うようなもんです。
必須技能の欠如ですな。
— Hirokey Ave (@ABC1970) 2015, 2月 24
@ABC1970 ねえ。だから学生さんがスマホ世代になってきているのが問題視されているんですよね。うちはまだ「絵描き系」だからパソコン所有率は維持されているけど「一般の大学」だと厳しいことになってきている模様。それこそキーボードに慣れさせるところからはじめないといかん時代が再び。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 2月 24
@GoITO いやあ、スマホまではPC利用率が高くて、20代前半を雇えばどんな底辺高校出身者でも、ある程度PCはいじれたもんですが......当時は30中盤の大卒に、PC使えなくて低賃金労働しかできない層がいましたね
— Hirokey Ave (@ABC1970) 2015, 2月 24
@ABC1970 今後これ結構きつい話になりますよ。ウチの大学でも、ぼくの授業のレポートを学校のサーバにあげさせる形にしてるんですが、手書き原稿の写メ撮って画像ファイルをあげるという「苦肉の策」がいたもの。去年まではワードかテキストで揃っていたのに。今年からそうなってきた。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 2月 24
@GoITO アレですよ、また
「PC以外ではエントリーシート納入不可」
にしてふるいにかける時代が来るのかな。俺は、
「履歴書はパソコンで作成してください」
と書いたんですよね。またその時代に逆戻りか。
— Hirokey Ave (@ABC1970) 2015, 2月 24
@GoITO 生徒さんには、まず激安ノートパソコンをスマホで買わせるのを第一回の授業にしてもいいぐらいですよね。
— Hirokey Ave (@ABC1970) 2015, 2月 24
@GoITO パソコンを強制的に買わせ、PC以外での納品を拒否すればいいでしょう。
どうせ現実世界では全部そうなってるんだから。
ライターが、PCでの納品を拒否したらアウトでしょう。とんでもない天才でない限りは。
— Hirokey Ave (@ABC1970) 2015, 2月 24
これも結局一つのケースでしかないのだけれど、パソコンの必要性ってのがじわりと来るやり取りではある。それと同時にパソコンとスマホの違いが、そのハード自身の違い云々ではなく、実はそれを使って何をするか・出来るかの違いであるにもかかわらず、ハードの違いという分かりやすいけれど、本来の主旨とは離れた観点で世間一般では語られており、それと実情とのギャップを覚えさせられる。
日本でネットが普及して普通の家庭にパソコンが出回り始めたのが大体'95年ぐらいと思うので、もう20年か。すっかりネットが浸透した今となってはスマホがPCにとって代わった感があるので今後は仕事のツールとしてのPCは「教育目的で家庭に導入」しなきゃいけない時代だぬ。
— 八的暁2.0 (@hachipro) 2015, 2月 24
どこで読んだのか忘れてしまったんだけど、スマホでもパソコンでもネットも何も同じことはできるが、扱える情報の量が違ってくるという話を、軽自動車とトラックに例えて、仕事で使うってのは引っ越しみたいなもので、軽自動車で引っ越ししますか? といっていたのは説得力があった。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 2月 24
となるとですよ。子供のころ自宅に「ある程度占有できるパソコンがあったかどうか」で格差ですよ。小学生のころから自分で検索していろいろ読んでいた子との間で文化資本的な差ができる。「わたしが嫌いだから家にパソコンを置かない」とか言ってる場合じゃないですよ。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 2月 24
昨年のスマホ・パソコン論でもおぼろげながら感じていた、あるいは端々で語っていたかもしれない、根本的な問題が大よそ把握できた感はある。スマホでインターネットにアクセスはサクッと出来るけど、仕事などの業務作業は腰を据えて行うことは出来ません。サブマシン的な使い方は不可能ではないけれど、スマホ上で表計算は難しいし、画像加工もシンプルなもの以上は困難。プライベートのネット利用ではスマホで十分だけれど、仕事用にはちょいと無理......というところ。スマホとパソコンの問題って。例えるなら営業マンで普通免許取得必須みたいな雰囲気。
「パソコンが使える」ってのは「ゲームが出来る」「ネットサーフィンが可能」という意味では無く、業務関連ツールが使える、それらを含む、体系的な操作を熟知しているという意味になる。本来なら。ところが「パソコンが使える」という言い回しが、多分に「スマホでも出来ることをパソコンで行う」ことが「パソコンが使える」という意味合いとして用いられているので、おかしな話となる。スマホはスマホ、パソコンはパソコン。長所短所持ち合わせている。片方万能主義、もう片方はアウトってのは、単なる宗教戦争でしかない。
「パソコンを使える」っのては厳密にいえば「キーボードによる入力が出来て、マウスなどを使って一連のインターフェイスを取り扱うことが出来て、ワープロによる文字入力が出来て、ブラウジングが出来て、オフィス系のソフトをそれなりに使いこなせる」「ネット利用の際の最低限な情報リテラシーの取得を果たしている」「データの管理概念を会得していて保全と管理とやりとりが出来る」「ビジネスレベルのメールのやり取りが出来る」「ファイルのやり取りが適切に出来る」ことを意味する......って列挙したら随分とハードルが高い話になってしまった。当たり前だと思っている内容が、実は明文化したらエラいことになったという実例。
でも「パソコンが使える」って実の所、こんな感じ。
要は、パソコンもスマホも「道具」に過ぎない。その「道具」を使って何をするか、出来るかが要。「パソコン(PC)が出来る」って表現そのものが、実は現状の問題点を如実に表しているのかもしれない。スマホでネット利用者は増えるけど、ネットを使って仕事が出来る人が増えるわけじゃなく、逆に減るかもしれないという、笑うに笑えない事態。新時代の幕開けでござるの巻。
仕事の現場が全部スマホやタブレットで、業務管理運営、作業の道具として使われていて、パソコンが必要ないって状態なら別にいいのだけれど。実態は道具としてパソコンが使われている以上、その道具が使えなければ仕事が出来ないわけで。運送業者に勤めて、自分はバイクしか免許を持ってないけど移動には十分だから問題ないと主張しても、トラックを運転してもらわなきゃ困るのよ、と言われたら、トラック免許を取るか、あるいは転職するか、免許の要らない部署への配属を望むしかないわけで。
主義主張としてのスマホやパソコンの利用、優先性ではなく、道具として使えるか否かとの観点で考え直せば、なるほど感があるのだよね。パソコン使うな、スマホを使うなではなく、スマホを使ってもかまわないしむしろその方が便宜性は高まるのだけれど、パソコンを併用できないと大変だよ、できることは限られるよ、ということ。
@Fuwarin 昨今の学生さん、PC使わないっていうが、文系・理系問わずレポートとか卒論はどうしてるんやろ。昨今のコピペ問題もあって全文手書きが指示されててPC不要になってるとか?
— 個人凍死家テリー (@Frozen_Telly) 2015, 2月 25
@Fuwarin 90年代のネット勃興期に学生だった人間なら、それが出来ない方がマイノリティで疎外感を感じていましたけどねw 時代は変わるものだ...
— マシン語P (@mashingoP) 2015, 2月 25
日常生活で出来る事全てをPCを使えばより良く出来る人の事だよ。@Fuwarin 「PCを使える」@suzukigiken
— セルフ執事 (@SF_yomi) 2015, 2月 25
@Fuwarin @Frozen_Telly 誰か一人PC使える人がいれば充分なんです。その人がマクロなりのデータを誰かに渡せば、あとはみんながそれを共有し放題。論文も誰かのwordファイル取ってきて雛型に使えば、それなりに体裁の整ったものが書けちゃいます。
— 社畜の長い午後(ヤス・オールディス) (@tomoyasu_yasu) 2015, 2月 25
@tomoyasu_yasu @Fuwarin あー、その雰囲気は何となくわかります。
私が学生の頃も卒論のイントロなんかは先輩のコピペに手を入れた程度だったしなぁ。
#データはちゃんと取って論文書きましたけどね
— 個人凍死家テリー (@Frozen_Telly) 2015, 2月 25
「んじゃ、今の学生でパソコン使っていない人はどうするのかな」という、最初の教鞭をとる側のお話でも色々と出ていた件については、こんな話もある。一人パソコンが使える人がいれば、それを共有するまでの話。要はパソコンを使える人がサーバー的な役割を果たし、スマホしかない人たちはクライアント的に利用してもらうことになる。すべてがすべてではないけれど、この手法の場合、パソコンが使える人が圧倒的優位に立てることになる。「今、パソコンで一歩先んじる」って話がマジなものになる、かも。
@Fuwarin ついでに現状
ネットの炎上や個人リスクに対して判断出来る
データ管理概念とクラウド概念を把握し、どこまでリスクヘッジできるか
更にまだまだいくと各種ビジネスソフトを使って使えない人の変わりに仕事が出来る
海外(主に英語)での説明書が読めるまでついてくる
— 黒枷葵@とりま色々バタバタと (@kurokaseaoi) 2015, 2月 25
@Fuwarin 実際企業の中にはそういう専門スクールでの授業を少し受けてもらおうとかも出てきそう スマホはキチンと使えるけど、PC周りの日常的なところ(それこそIMEパッドの設定とかソフトのダウングレード起動)とか知らないこともあるしなあ
— 黒枷葵@とりま色々バタバタと (@kurokaseaoi) 2015, 2月 25
「パソコンができる」にここまで求めるのは少々酷だけど、確かに指摘されれば、これぐらいのスキルはあった方が良さげ。専門スクールの話も冗談抜きで出てきそうな気がする。
繰り返しになるけれど、別にスマホを否定しているわけでは無いので、念のため。道具としてパソコンの(広義な意味での)利用がお仕事の上では必要不可欠な状況に変わりはないって話。むしろ逆手に取り、パソコンを一通り使いこなせると、仕事はもちろんその他いろいろな方面で、選択肢は広がり、土台もしっかりとしたものとして人生を歩めるよ、みたいな感じ。
ってこれ、別にパソコンに限った話では無く、すべての道具にいえることなんだけどね。例えば自動車、たとえば資格、たとえば料理の腕、とかさ。
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