同人誌でも商業誌でもその一部分を何らかの機会を得て読んだところ自分の趣味趣向に合っているのが分かり、「全部を読みたい」と思っても、すでに絶版でオークションでも見つからず、作者も「再販しません」と宣言しており、続きは決して読むことが出来ないであろうことが分かった時の絶望感。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 2月 26
試食品や試供品のように、元々お試し版なりダイジェスト版を広範囲に展開させてその商品やサービスに興味関心をいだかせ、本商品の認知度を高めて購入を促す、呼び水的な商法はごく普通に行われている。インターネットの普及で断片的な情報配信のハードルが無茶苦茶下がったこともあり、デジタルコンテンツの点ではさらにその呼び水手法が活発になった。先日言及した電子書籍の超割引セールやゼロ円セールもその類と考えれば理解はできる。また、漫画家先生などが発売日などに合わせて、その作品のダイジェスト版やイメージカットをネット上に流すのも、その類かな。
ところが同人誌でも商業誌でも、何らかの機会でその一部分、ダイジェスト版のようなものを手に取る、目に触れる機会を得て、「ああ、これはいいな、全部を読んでみたいな」という気持ちにさせられ、見事呼び水に誘われた状態になっても、その本編が存在しない、手に入らないなんてことがあると、悶絶状態に陥る。いわゆる消化不良的な絶望感。連載時に読んでいた漫画の単行本をようやく見つけたと思ったら、最後の巻だけ出ていなかったとか、何処に行っても在庫が無い、みたいな感じ。
インターネットで展開されるお試し版的なものは、特にその傾向が強い。今件はそのパターンで、公式リツイートで「お?」というものがあり、それをたどって当人のpixivを見てみたところ同人誌のダイジェストを確認。それを読み通して「これは全編を読みたい」と思ってよく見直したら「再販はしない。在庫も切れている。せっかくだからダイジェストを掲載するね」的な説明があり、全編はもう読むことが出来ないと知ってしまった次第。オークションサイトも含めて色々と手を尽くしたけれど、結局見つからず。
渋で読む→うわあ気になるな!→続きは冬コミで!→もう終わってるし通販も再販もしないといくとへこむ
— 春斗@メダロッター椛 (@armblade) 2015, 2月 26
同人誌とか個人誌の再販はもはや絶望的だしもう本としてやなくてええからテキストデータとしてかえんかのう......
ほしかった同人小説本があったんや......
— 春斗@メダロッター椛 (@armblade) 2015, 2月 26
かといってたら金の振り込みとか個人情報とかややこしくなるから結局は気になったら即買いがええんやね......
— 春斗@メダロッター椛 (@armblade) 2015, 2月 26
みず谷なおき先生のHello!アンクル最終回は永遠に読めないという絶望。ン十年経ってもツラい。
— 三月狼 (@furamuni) 2015, 2月 26
最初のツイートがやたらとリツイートされるので色々とチェックをしてみたら、激しく同意的な人が結構多かったようで、色々と複雑な気分。当方の今件の場合も、数日もすれば恐らくは記憶の奥底のジャンク情報の一つになってしまうのだろうけれど、同時に「あの作品の全編を、話のすべてを読み通して堪能することはできなかった」という記憶、経歴はずっと残る。ほんの小さなものかもしれないけれど、自分のどこかにぽっかりと穴が開いてしまうようで、何となく口惜しい限りではある。
インターネットの普及でデータの蓄積、半ば放置的なものが当たり前になると、こんな事例も増えて来るんだろうな......お試し版などがずっと残ってて、本編のような存在はどこにもないという、存在の形跡のみがその姿を残していく、みたいな。
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