ロシアと中国で仕事をして感じた事。ロシアでは契約は大事な事だと考えているので、皆が勝手な事を言いだした時に、一体誰がサインするのかと尋ねると黙る。契約書にサインしたら少なくとも守る責任があると認識しているから。中国はそもそもそういう認識が無い。ただし、相手には履行を求める。
— leonardo (@masumind) 2015, 2月 25
ロシアのビジネスでたびたび何々する用意があると言われる。これは何かが出来なくなったとしても、自分はやる気があったのに不可抗力や相手の所為で出来なくなったのだから、自分の責任では無いという意味。日本だと前向きに検討させて頂きますかな。
— leonardo (@masumind) 2015, 2月 25
中国の官庁と契約したのに突然履行出来なくなったと言われた。理由を聞くと上司が変わり、ダメと言われたとの事。ふざけんなと思ったが、相手はだってしょうがないだろと。支払いが前金だったりすると狂言の可能性もある。結局、代替物で片が付いたが肝を冷やした。そういう足元を見て来る時もある。
— leonardo (@masumind) 2015, 2月 25
これはゼロから百まで全部というわけではなく、ケースバイケースの話ではあるのだろうけれど、自分の経験則も合わせて多分に的を射ている話ではあるなあ、ということで、良い機会も合わせて、覚え書き。要は(紙の)契約書をどれだけ重要視するか、責任の所在の文化的な違いとか。人治主義とかも関係してくるのかな。日本だと特に責任に関する所在に重点が置かれていて、とりわけその責任が色々と振り回され武器にされてしまうので、極力回避するという姿勢があるような気がする。
紙が無いからこそ紳士と紳士の約束は尊い。これは欧米でも同じ。ジェントルマンズ・アグリーメントと言う。相互の名誉がかかっているからだ。ところが、そこにつけ込み、紙が無いことを良い事に、後から好き勝手を言って来る人がいる。
— leonardo (@masumind) 2015, 2月 26
こういう人はたとえ紙があってもあげ揚げ足取りのような無理筋の主張をして来る。困るのは準拠すべき法が曖昧で、そこを利用して来る場合だ。ところが同じような事を自分が主張されると大体においてキレる。
— leonardo (@masumind) 2015, 2月 26
かつてはアメリカがやる事が気に入らずソ連や中国をを持ち上げるインテリがいた。ところがソ連も中国もあれな状態になると本当の社会主義はあんなではないと言うようになった。これはイデオロギーというより、信仰に近い。
— leonardo (@masumind) 2015, 2月 26
中国の場合も建前とか威厳とか権威とか見栄を大いに強調する傾向があり、その点は「紳士と紳士の約束」と同じであるはずなんだけど、自己の欲の方に天秤が傾いてしまうのか、どうも同じようにはいかず、最初に挙げたような話になってしまいがち。自分が中心でないと許せない、他人のレールの上では絶対に走りたくない、本当の意味での「我がまま(自分が思うままに)」が強いんだろうな、という感はある。それをビジネスなどの上でやられたら、たまったものではないけれど。
そもそも契約を交わし、文面として残すのは、互いの意志における齟齬のリスクを減らし、第三者が客観的に精査するための知恵でもある。それが覆されることが多々あるのなら、信頼に足る材料か担保となる保険的なものが無い限り、多大なリスクのもとで行動することを余儀なくされる。文化が違うから、風習の相違があるから、歴史上そうなっているから。それはそれで事実として認めた上で、判断選択の際の考察材料としなきゃいけないんだろうな。
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