そういや先日自前で公的データから精査しようとして上手くいかなかった、戦前の日本の対国家財政軍事費比率の元ネタはここ 軍事費(第1期~昭和20年) https://t.co/OE5edRDlDY
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 30
財務省の公式サイトに 大蔵省「決算書」のデータはあったのですが明治初期の分が一部抜けてましたし、中途から多用されいたと思われる戦時国債による軍事費へのシフトの分が「決算書」からは確認が出来なかった(全部公債費扱い)ので、計算に使えず、アウトという次第。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 30
先週の日曜日の午後をほぼ費やして、水泡に帰してしまった事案の一つ、戦前の日本における軍事費の推移。色々調べてダイレクトな値を見つけたのだけど。予算そのものが「軍事費」として計上されているわけではないので仕切り分けの違いも出てくるだろうし、何より公的な情報でないと記事精査には使いにくい。そこで、一次ソースとなる大蔵省の決算書を探したところ、公式サイトにはそのファイル自身を見つけたものの、一部穴が開いていたのと未公開の部分もあること、さらには公債費でひとまとめになっている形でしか掲載されておらず、特に日中戦争ぼっ発時辺りから急増する公債費の中身が分からず、自前での計算は不可能と判断し、断念。
軍事工廠への投資やら満鉄やらへの投資やらも軍事費と含めるのかな、とかも思ったりして。ああ、前者はほぼ間違いないだろうな。恐らく一次ソースは紙媒体としての「決算書」を見れば分かるのだろうけど、それは不特定多数が容易にアクセスできるものではないので、そこでオシマイ。多分「軍事費」の仕切りで結構アレなことが起きている香りがするんだけどねえ。
1944年では国家財政の85.3%が軍事費ですからねえ。もっともワシントン海軍軍縮条約締結直前の1919年では65.1%まで上昇していて、すでに破たん寸前。IF話でありがちな条約が締結されていなかったら......国破れて戦艦あり、になってたかも。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 30
とはいえ、掲載されている軍事費率を見ているだけでも興味深い。金食い虫と揶揄された海軍の大増強により予算がエライことになっていた1910年代、軍事費率もうなぎのぼりで、ワシントン海軍軍縮条約締結直前の1919年では2/3近くが軍事費に費やされていた。この時仮に、条約が締結できずに海軍の大増強が続いていたら、その後10年もたたずに財政破たんか、戦争に突入していたのだろうな......ってどこかで見たような設定だな、これ。
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