ツイッターでフォローしたりリストに入れると、同じ居酒屋に入った感じ。でも相席じゃない。息が合えば声を掛け合えたり席を同じくできる。でもFacebookは初めから対面で同じテーブルに座らされる感じ。そして自分が知らない相手の友達が最初から同じテーブルにいる。何だか息苦しい。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 3月 29
@Fuwarin 横では飯の話をしてるかと思えば、その横ではR-18の話をしてる 更についてるテレビを見て盛り上がる勢もいたりと混沌としているけど、好きな席に好きなタイミングで声をかける事が出来る 過去へも飛ぶ事が可能
顔本だと場所と酒はあるけど自分のことは全部知られてる
— 黒枷葵@こっそり活動再開 (@kurokaseaoi) 2015, 3月 29
先日Facebook周りでちょっと頭痛のする事案があり、【「TwitterがFacebookより居心地が良い理由」を考えてみたら】の話を思い返しながら、かつてのmixi疲れに似ているところがあるなあ、と考えながらふと居酒屋の状況が頭に浮かんだので、例えてみたというもの。
Facebookが悪い、ツイッターが良いというものでは無く、同じソーシャルメディアではあるが、性質が随分と異なるってこと。濃い付き合いが出来るのはFacebookに違いないけれど、それが疲れを生じさせ、黒塗りの乗用車に追突する位のダメージを受けてしまうこともある。美味しいけれどくどい料理は毎日食べていると食べ飽きる。それよりはあっさりとした家庭料理、素朴な料理の方が常食には向いている。両者の間にはそんな違いがある。毎日食べる家庭料理はちょっとした満足感を継続できる。その分、時折食べる美味しい料理の旨みはひときわなものとなる。
欧米ではFacebookが主体とのデータが複数で出ているけれど、疲れないのかなあ、と思ったりもする。若年層がFacebookなどから離れ、短時間で投稿閲覧できる動画コミュニティなどにシフトするのも、この面倒くささがあるのかもしれない。
同じ「飲み」で別の切り口で例えるなら、ツイッターは一人飲み、ちょい飲みみたいなもの。Facebookは正月の親戚の集まりや町内会の会合での飲み会みたいなもの、なのかなあ。料理はもちろん後者の方が豪勢だけれど、色々と面倒くさい。その雑多感を好む人にはいいけれど、そうでない人も多いんだよね、きっと。
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