秋葉原
「最近ラブライブグッズで派手に着飾る奴らよく見るな」
「中身の無い連中が『自分は一角のオタクだ』って必死に主張してるつもりなのさ」
室町時代
「此の頃、婆沙羅などと申す派手な装いが流行りよの」
「あれは匹夫が、『己は一角の武士ぞ』と見せかけんとしおるものよ」
— 清少納言 (@seisyounagon_) 2015, 2月 28
昔の社会文化というのはあまり語られる機会がないのだけれど、今件に限らずいつの世にでも特定の格好を見せてそれらしさを装ってみたり、雰囲気を楽しむという、今風に言えばコスプレ的な機運は存在する。「格好から入る」っていう言葉にもある通り、見た目による意識変革は心境にも大きな影響を与えることになるし、行動様式にも変化をもたらす。背広を着ると何だか気が引き締まるでしょ?
で、今件はそれを否定的......というか、揶揄する形での指摘が、昔も今も存在していたのだな、というお話。これはこれで第三者からの意見としてありうるってのは仕方がない。
例えばいわゆる「不良」の髪型やファッションに一定の「型」があるように、「自分はこういうカテゴリですよ」っていう自己紹介要素があるんじゃないかなぁと私は思ってる>ラブライブで全身固める人
— 湖西晶@お仕事募集中です (@akikonishi) 2015, 3月 1
でもってラブライブで全身固めてる人にとってラブライブっていうのは、人と繋がるツールであったり、ひとつの祭りだったりするのかなとか。
キャラや作品世界を大事にしたい系の人は、世間に対して奇異に思われるような発露の仕方はせず、ひっそり自室に飾るんじゃないかなとか。
— 湖西晶@お仕事募集中です (@akikonishi) 2015, 3月 1
とりあえず全身ラブライブ武装の人はうちの5歳娘に出逢ったら町中で大声で「あーーー!!パパの好きなラブライブやー!パパの好きな真姫ちゃんおる!」と絶叫されるので気をつけて下さい(名古屋での実話)
— 湖西晶@お仕事募集中です (@akikonishi) 2015, 3月 1
一方でこんな指摘もある(最後はやや蛇足的なオチではあるけれど)。要は純粋な成り切り願望・自己陶酔的な顕示欲、成り切りの体現化と共に、第三者に向けたアピールであり、同族を探している事のシグナルでは無いのかという話。分からない人には分からないけれど、同好の士にはピンとくるものがある。ソーシャルメディアにおけるハッシュタグ的なものとか、特定の趣味趣向者向けの掲示板みたいなもの。あるいは蛍のお尻の部分の光みたいな感じかな。
そう考えるとキャラクタグッズの類やコスプレを披露するのって、その行動理由は理解できたりする。考えてみれば、昔、子供達の間で流行ったという、帽子に色々なバッジをつけて被るのって、そのバッジの内容で似たような趣味をしている人を求めているってのもあったのかもしれないし、ね。
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