「重大事件だから少年法なんて無視して犯人の顔写真と実名を報道して構わない」というのは、「重大事故だから法律なんて無視して全ての原発を停止して構わない」という菅直人と、その短絡的な正義感において大差がない。
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2015, 3月 1
耐震偽装、消費者金融の過払い利息、かんぽの宿、原発...。政治家とマスコミ(と弁護士)が大騒ぎして、無理矢理に〝大疑惑〟に仕立て、国民の財産を毀損したり、普通に回ってたビジネスを叩き潰した例は、枚挙に暇がない。反対の理由に「国民感情」や「庶民感覚」を言い出した時は、たいてい怪しい。
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2015, 3月 1
いまだに「かんぽの宿」を単なる不動産の売買か何かだと思ってる人がいて呆れる。というか、原発問題と同じで、当時の報道が「疑惑だぁ!」と不勉強のままギャーギャー騒ぐだけのレベルだったから仕方ないが...。
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2015, 3月 1
「第一印象だけで判断し検証を怠る人」のリトマス試験紙。 @MasashiKikuchi 未だに「かんぽの宿」を単なる不動産の売買か何かだと思ってる人がいて呆れる。というか、原発問題と同じで、当時の報道が「疑惑だぁ!」と不勉強のままギャーギャー騒ぐだけのレベルだったから仕方ないが...
— 玉井克哉(Katsuya TAMAI) (@tamai1961) 2015, 3月 1
リンチ殺人のニュースをやるたびに、ぶん殴られて目にクマを作った少年の写真を流すのはやめてほしい。児童ポルノと同様、ああいうものは多くの人の目には触れないようにするべきだ
— Arai Kaoru (@araikaoru) 2015, 3月 2
先日の震災周りの話などでも「需要があるから仕方ないやん」的なツッコミもあって、ふと思った件と合わせ。先の中学生に関する事案では特に顕著なんだけど、「果たしてそこまで詳細に速報的に伝える必要があるの?」的なニュースの流れ方にちょいと疑問を覚えさせる。また不必要な、さらには指摘の通り不快な情報まで多分に流されるのを見ると、感情論に振り回されて事実や本来の主旨がないがしろにされている感も否めない。中学生事案に絡んで「少年の凶悪犯罪が増えている」云々ってのも結局、多分に印象論が先行して数理的・統計的な話で裏付けられたものは無いし。
人は感情で生きている存在であるし、それが多分に意思決定を左右することは否めない。ただそれを先行するとそこには不毛で不合理で非生産的な結果が待ち受けていることになるし、それを悪用する人達の懐だけがふくらむことになる(先日の震災周りで煽動した人達の話が良い例)。「かんぽの宿」も良い例だよね。
恐らく、読者の大多数に於いては、そういった「ヒューマンストーリー」こそが興味の対象であって、原因究明・対策立案・施行と評価と再検討、などといった議論は敬遠したいのだろう。(NIMBY的な):新聞報道の行動原理「人を描け」と三文小説と http://t.co/fwLk0W0KJl
— 小熊善之 (@0guma) 2015, 3月 1
で、指摘の通りそのような感情論・印象論的な部分に需要が多分にあるのは事実だし(ヤフー個人ニュースやオーサー権限のニュースコメントでも、韓国・中国周りの反発的な話やそれに追随するコメントほど人気を得られているのが良い例)、それが一番簡単で分かりやすいビジネスとしての切り口ではあるのだけど。その流れを創っているのも結局報道側で、結果としては盛大なマッチポンプになってるんじゃないの、という気がする。
需要があるのは果たしてその切り口、手法だけ? そしてその手法を用いるにしても虚偽やら煽動話でなく正しいことや報道として本来伝える必要がある情報を多分に盛り込むことは出来ないの? 単なるエンタメ系タブロイド紙とやってることは同じじゃない?
果たして違和感を覚えるのは当方だけなのだろうか。
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