一年経つと、だいたいのことは収束して記憶から消える。それでも残ってることでも、まあ二年三年で消える。五年引きずることってごくまれですな。時間が経てばヤなことの多くは流れて消えるのかもね。気長に行こう。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 3月 3
何か思い悩むこと、イヤなことに遭遇した時、「時間が解決してくれるさ」的な慰められ方をされることがあるし、自分自身にそう言い聞かせることも少なくない。ネガティブな記憶ってのは一定の質量を持っていて、それが時間とともに少しずつ削り取られていく、そんな感じ。言葉通り風化する、みたいなイメージかな。さらさらと音を立てながら、少しずつ。その質量や堅さによって、風化の度合いは異なるけれど。
あーでも、人間関係の鬱憤って、一年で増幅したりもしますね。二年三年で憎悪に成長。五年も持ち越すと、復讐を虎視眈々と待ち構えたり。これも、気長に行こう。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 3月 3
恨みに関する感情って凄くないですか? 大昔の些細な事柄でも、殺意なようなものにまで高まるネガティブな熱意が残っている。こんなふうに持続する感情って数少ないかも。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 3月 3
恨まれ側の立場を想像すると、まさに恐怖かも。ある臨界点で「あ、恨みを買ってた?」とか気付くのだろうし。凄いスリルかも。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 3月 3
街中に潜む狂人の件を書こうと思ったけど、まとまらない?。でも狂人は多いと思います。注意してください。小柄な方はとくに、また、ひとりで歩かないで、と思います。
— スタパ齋藤 (@stapasaito) 2015, 3月 3
でも一方で指摘の通り、鬱憤の中には増幅するものもある。これってやはり普通のネガティブな記憶などと同様、風化はしているのだと思う。ただしその一方で内部で、時としては外部的要因すら取り込んで、その質量を再構築していく。だから時間が経過した上で補強され増幅した鬱憤や憎悪のような恨みに関する感情は、当初のものとは随分と姿形、中身にいたるまで変化してしまう。それてその変化には対象となる相手はもちろんだけれど、自分自身ですらも気が付かないかもしれない。
いじめっ子といじめられっ子の関係の話かな、デマを流した側と流されて影響を受けた側の話かな。恐らくは双方とも関係が無く、氏そのものの周辺に起きたことをもとにしたお話なのだろうけど、色々と思い返される、共通する面もあり、深さを覚えさせられる。
......ああ。そうか。あるいは、加えて。春が来ているから、というのもあるんだろうな。
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