「日本史よりプログラミング教育を」発言の凄さは、一つの国の教育システムを自分たちの利益のために作り替えていいと素で思ってるナチュラルボーンな人たちが財界のトップにいるってバラしたことだよね。マンガや特撮だとマッドサイエンティストか悪の組織の総帥タイプやで...
— 多根清史 (@bigburn) 2015, 3月 4
大切なことなので2回言いますが、「教養がない」というのは、別に過去の文学作品のタイトルを知らないということではなく、自分の知らない事はこの世でさして重要でもないと思い込んでしまう視野狭窄のことです。つまり、世界を自分の物差しで測って事足れりとする態度のことです。
— Kawase Takaya (@t_kawase) 2015, 3月 4
ですから、例えばある理系の大学教員が文系を役に立たないなどと腐せば、その人は無教養と言っていいでしょう(逆はあまり聞かないけど)。僕の狭い交友範囲でですが、「できる理系の研究者」は文系を腐したりしませんね。僕のこの断言には少しトートロジーが入っていますが(笑)。
— Kawase Takaya (@t_kawase) 2015, 3月 4
先日の「2年前の対談をサルベージしたら現状との比較の意味でも再燃焼しちゃった」事案に加え、似たような話として多分に「特定項目だけを学んでスペシャリスト的なものが一番大事ー」的な主張を成される経営コンサルタントな方々の話が話題に登っている。多分に反発が多いのは、語られていた内容において「上から目線」的なものが多いのが原因かな、と思ったりする。
「あんたにはこれは必要ないから無駄だ」とするその主張は、多分に結果論、あるいは語った側の語り手側本人の人生経験則によるもの。例えば物理的・論理的に無駄だというのならともかく、あくまでも多次元的に無数に存在する可能性のうちの一つの結果を語り手側が自分の経験として得て、それを他人にまで強要するから「それ、いいの?」的な疑問視のバルカンファランクス攻撃を受けることになる。例えば「人類は鼻からカルボナーラを食べるべきだ。それで知力が倍増する」なんていう、科学的にも物理的にも論理的にもおかしいような選択肢を呈されて、それを否定するのならともかく。
学問とは無駄なことを知るために存在する。そしてそれは一人一人異なり、無駄か否かは総じて結果論でしかない。他人が「無駄な事」と断じるのは、可能性の芽を摘み取るだけでなく、無駄でないものまで毀損する可能性が高い。良い例が「父ちゃんラーメン屋に成りたかったけどなれなかったので、お前はラーメン屋になれ。他の職業の事は考えるな。無駄だから」のように、親の考えを子供に押し付けるパターン。子供の意志を一切無視して。あるいは積み木を目の前にした子供に「家を創れ。かっこいいから。将来に役立つから。他のはダメだ」と何を作るかについて枠をはめてしまうようなもの。
もちろん、無駄か否かを当人が判断するためには、その内容が正しく伝えられていること、語られていることが前提。嘘、偽りを学問と称して学ぶ・学ばせるのは無駄でしかない。これは間違いない。短距離、長距離どちらが陸上競技で自分にあっているかを考える時に、パチンコ台に向かって持久力をチェックするからパチンコ屋にいくとかいう話は問題外。......まぁ、経験則になる分だけましかもしれないけれど(いや、パチンコ屋は陸上周りとは全く関係なく、経験の意味も無いか)。
@Fuwarin 「個人的に思う」のと、それを「制度にしてしまう」ことの大幅な落差ですよね...。
「Fランなんか行っても意味ないから働け」と「Fランなんてつぶしてしまえ」の落差というか...。
— yomi_nuxx (@yomi_nuxx) 2015, 3月 4
前に話題になった「L型/G型」もだけど、短期の社の業務で必要な技能は社内教育して身に着けさせればよいのであって、それを長期で社会全体のことを考えて行われるべき公教育に押し付けて自分たちは面倒を回避したいししてよい、という傲慢と視野狭窄がまかり通ると思うあたりが根本的な問題。
— シータ (@Perfect_Insider) 2015, 3月 4
要するに教育機関を「我々(自分の会社)にとって都合の良い奴隷を大量生産してくれるべき工場」と認識していると曝露してしまったわけで、しかも長期視点もなければ社会で必要な能力の多様性にも目を向けず「わが社で必要なら社会全体でも必要なはず」という自惚れと視野の狭さも同時に示している。
— シータ (@Perfect_Insider) 2015, 3月 4
先の対談の問題点はここにもある。面倒なものは「社会のせいだ」として放り投げ、自分達は美味しい所のみをつまみ食いしてしまいますよ、という実態を暴露してしまっている。この発想は、例えば電力インフラ周りでもよく語られる(発電はお金が儲かりそうだからどんどん参入させろ、色々と管理が面倒で儲からないっぽい送電は公的な所に放り投げ。色々ウザいから「競争原理ガー」「値が下がるから」「自由競争ガー」とたきつければ誘導できるだろうという思惑が、ね。太陽光発電周りと合わせて、一部界隈がやらかした)。
自分はゲームデザイナーになりたいので、ゲームに役にたたないことには関心も持たないし勉強もしない、という少年が専門学校のゲーム学科に入学したら「行列」「三角関数」が必要と知って......という話があった。彼は「数学なんて役にたたない」と思っていたんですね。10年位前に聞いた話。
— 伊藤 剛 (@GoITO) 2015, 3月 4
ゲームは重力やら衝突やら慣性やら、あるいは言語やら時代設定やら文化やらと、現実からの類似性を持たせることで架空の遊びや物語を一種の現実として生み出すメディアなんだから、現実のありとあらゆる知識が必要だなんて当たり前じゃないですかヤダー
— maimai (@maimai_jp) 2015, 3月 4
以前もちょいと触れたけど、結局のところ「特定の技術のみ必要だ」と判断するのには取捨選択のための知識技能が必要になるし、その必要か否かってのは状況次第でいくらでも流動的になる。全知全能になれ、というわけじゃなく、汎用的な幅広い知識、一般常識の上に、近隣となる・近しい関連方面の知識を広く浅く集約し、その上に初めて専門特化された技術・知識を置くことで安定化が図られる。突然専門特化の知識のみを会得しようとしても足場が崩れてしまい、はいそれまでよになるのがオチ。ほら、アレだ。エリート教育を受けた人が、不測の事態に全く対応できないとか、そんな感じ。結局ネジになってしまう。
スペシャリストは大切だけれど、同時にジェネラリストも必要なのだよね。
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