「それは無駄、学ぶ必要ありません」を判断するためにこそ、学ぶ必要がある

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先日の「2年前の対談をサルベージしたら現状との比較の意味でも再燃焼しちゃった」事案に加え、似たような話として多分に「特定項目だけを学んでスペシャリスト的なものが一番大事ー」的な主張を成される経営コンサルタントな方々の話が話題に登っている。多分に反発が多いのは、語られていた内容において「上から目線」的なものが多いのが原因かな、と思ったりする。

「あんたにはこれは必要ないから無駄だ」とするその主張は、多分に結果論、あるいは語った側の語り手側本人の人生経験則によるもの。例えば物理的・論理的に無駄だというのならともかく、あくまでも多次元的に無数に存在する可能性のうちの一つの結果を語り手側が自分の経験として得て、それを他人にまで強要するから「それ、いいの?」的な疑問視のバルカンファランクス攻撃を受けることになる。例えば「人類は鼻からカルボナーラを食べるべきだ。それで知力が倍増する」なんていう、科学的にも物理的にも論理的にもおかしいような選択肢を呈されて、それを否定するのならともかく。

学問とは無駄なことを知るために存在する。そしてそれは一人一人異なり、無駄か否かは総じて結果論でしかない。他人が「無駄な事」と断じるのは、可能性の芽を摘み取るだけでなく、無駄でないものまで毀損する可能性が高い。良い例が「父ちゃんラーメン屋に成りたかったけどなれなかったので、お前はラーメン屋になれ。他の職業の事は考えるな。無駄だから」のように、親の考えを子供に押し付けるパターン。子供の意志を一切無視して。あるいは積み木を目の前にした子供に「家を創れ。かっこいいから。将来に役立つから。他のはダメだ」と何を作るかについて枠をはめてしまうようなもの。

もちろん、無駄か否かを当人が判断するためには、その内容が正しく伝えられていること、語られていることが前提。嘘、偽りを学問と称して学ぶ・学ばせるのは無駄でしかない。これは間違いない。短距離、長距離どちらが陸上競技で自分にあっているかを考える時に、パチンコ台に向かって持久力をチェックするからパチンコ屋にいくとかいう話は問題外。......まぁ、経験則になる分だけましかもしれないけれど(いや、パチンコ屋は陸上周りとは全く関係なく、経験の意味も無いか)。


先の対談の問題点はここにもある。面倒なものは「社会のせいだ」として放り投げ、自分達は美味しい所のみをつまみ食いしてしまいますよ、という実態を暴露してしまっている。この発想は、例えば電力インフラ周りでもよく語られる(発電はお金が儲かりそうだからどんどん参入させろ、色々と管理が面倒で儲からないっぽい送電は公的な所に放り投げ。色々ウザいから「競争原理ガー」「値が下がるから」「自由競争ガー」とたきつければ誘導できるだろうという思惑が、ね。太陽光発電周りと合わせて、一部界隈がやらかした)。


以前もちょいと触れたけど、結局のところ「特定の技術のみ必要だ」と判断するのには取捨選択のための知識技能が必要になるし、その必要か否かってのは状況次第でいくらでも流動的になる。全知全能になれ、というわけじゃなく、汎用的な幅広い知識、一般常識の上に、近隣となる・近しい関連方面の知識を広く浅く集約し、その上に初めて専門特化された技術・知識を置くことで安定化が図られる。突然専門特化の知識のみを会得しようとしても足場が崩れてしまい、はいそれまでよになるのがオチ。ほら、アレだ。エリート教育を受けた人が、不測の事態に全く対応できないとか、そんな感じ。結局ネジになってしまう。

スペシャリストは大切だけれど、同時にジェネラリストも必要なのだよね。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年3月 5日 07:57に書いた記事です。

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